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Name: sizuk
Date: 2011/06/16(木) 19:19
No:4335
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Title: 教えてください
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6月21日に母の一周忌の法要を自宅にて行います その時一緒に父の三十三年周忌も行います 教えて頂きたいのは、その際に包む御布施です
母 御布施 30,000円 御膳料 5,000円 御車代 5,000円
父 御布施 30,000円 のように 別々にお包みすればよいのでしょうか それとも一緒にお包みして 御布施 60,000円 もしくは、50,000円でもよろしいのでしょうか
姉と私の二人きりの姉妹のため、なるべく慎ましくやりたいと思っております。よろしくお願い致します
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Name: 天台沙門
Date: 2011/06/17(金) 06:04
No:4336
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Title: Re:教えてください
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複数の方の法要を同時に行った場合の布施料については、「法要一回につき」という考え方なのか、「それぞれの仏さまに対して」という考え方なのか、僧侶の考え方が分かれるとおもわれます。 私は「法要一回につき」の立場ですが、お呼びする僧侶の方に、まとめてよいのか別々にすべきかを、率直にお訊ねいただくべきと考えます。
ただし、一緒にお包みするときは6(偶数)ではなく5(奇数)にすべきでしょう。 その理由は仏教というより陰陽説(陰陽五行説)によるのですが、奇数は「陽」を表し偶数は「陰」を表すので、死者に関わる「陰」の事柄には「陽」である偶数を用いて全体として陰陽のバランスをとることになっているからです。年回も奇数(1・3・7・13・……。例外は百カ日)なのはそういう理由です。
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Name: sizuk
Date: 2011/06/17(金) 07:57
No:4337
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Title: ありがとうございます
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天台沙門さま、ご回答ありがとうございます いろいろ迷うよりお寺へ連絡を入れるときに伺ってみたいと思います。 お包みの際の水引の色は黒・白と考えておりますが、 黄・白もあるのですね?教えていただければ、幸いです。
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Name: 天台沙門
Date: 2011/06/18(土) 04:56
No:4339
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Title: Re:ありがとうございます
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おおざっぱには、黄色と白の水引は主に関西文化圏で使われ、それ以外の地域では黒と白(緑と白)が使われます。習慣の地域性を表したもので、用途の違いを表すものではありません。
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Name: sizuk
Date: 2011/06/18(土) 09:41
No:4341
| 解決
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Title: 納得しました!
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天台沙門さま、度々ご回答を頂いて感謝しております。 いつも亡き母が法事のお世話をしておりましたので 恥ずかしい限りです。本当にありがとうございました。合掌
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Name: 龍男
Date: 2011/06/07(火) 06:02
No:4309
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Title: お寺の人生相談の料金について
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ある掲示板でこんな書き込みを見ました。
「お寺というのは、心の道場みたいな所で清らかな所でなくてはなりません。 人生に行き詰まったり、悩み事をキチンと聞いて、仏教という教えに基づいて、相談者に接しなくてはなりません。 その際に、商売人の様な振る舞いをすることは、決してあってはなりません。 相談者が、お寺に相談することで救われ、有り難く思い、お布施を差し上げる気持ちになって、初めて生きたお布施となるのです。 また、お布施というのは、高いとか安いという基準がありません。多く払えば偉いとか、ご利益があるという事ではなく、その各人にとって、相談にのってもらって救われたのならそれに対するお礼として、自分の財産や金銭感覚の中で金額を決めて良いのです。」
自分も同感です。自発的にお布施や相談料金を差し上げるのはいいと思いますがお寺側から料金を提示されるのは何だかちょっと違うような気がするんですが…どうでしょうか?
金銭的に困窮していた頃に五千円で人生相談してもらえるお寺に相談にのってもらおうと思ったことがあります。 そのお寺はお金のない人からお金を取らないとホームページに書いてあったので正直にお金がないと申し出ましたが、門前払いだった経験があります。 経済的弱者やホームレスの人生相談を受けるお寺はないのか?と疑問に思いました。
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Name: hotoke
Date: 2011/06/07(火) 07:25
No:4310
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Title: Re:お寺の人生相談の料金について
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ここのネットはお金のない人でも相談にのってもらえる人生相談の場ではないでしょうか? 今まではお寺さんに相談に行くと、やはり五千円とか一万円のお布施を取られていましたから、ここは本当に助かりますよ。
しかしネット自体もお金がなければ出来ませんから、本当に困窮している人になると、やはり困りますね。 でもお寺さんもお金がなければ生活できませんし、相談にものれません。
人生相談といえばお寺以外にもいろんなところでやっていると思います。 NPO法人とかね。
仏事に関する無料相談所のようなところもあればよいですね。
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Name: 理想と現実
Date: 2011/06/07(火) 07:31
No:4311
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Title: Re:お寺の人生相談の料金について
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きれいごとです。 金銭を得る為の仕事としてお寺という職を選んでいるだけです。良し悪しはともかく生活するのにお金は必要ですから。 きれいごとに惑わされない事です。世の中、私利私欲の本音を隠して建前のみを全面に出してる企業政治家等あふれています。寺もそうなだけです。
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Name: 天台沙門
Date: 2011/06/07(火) 14:31
No:4314
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Title: Re:お寺の人生相談の料金について
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例えば。 量販家電店で、ある家電製品の性能・機能や競合他社の製品との比較について訊ねることは「無料相談」です。しかし、きちんと考えてみますと、店員にとっては接客という営業業務ですから会社全体の売り上げから店員の給与として相談料の一部が支払われているのですね。
医師・弁護士をはじめとする「プロフェッショナル」は、依頼者にとって解決の必要性が高く具体的な相談事ほど無料では受けません。そこに責任が生じるからです。無料相談の範疇は、クライアントに「問題の本質はどこにあり、どうすれば解決できるか」を知ってもらうことであり、プロフェッショナルが「自分の仕事にした場合」という判断をするためです。実際の解決は、そこから先の問題です。
※
以上は一般論として、以下では「僧侶による人生相談について」を考えましょう。
※
多くの寺では、壇家さんや信者さんに対しての「無料相談」を普通に受け付けています。その理由は先の家電量販店の店員と同様で、その場では無料であっても定期的になんらかのかたちで布施料をいただいていますから、事実上は有料相談だからです。また、菩提寺の住職というプロフェッショナルの宗教者の立場にある以上は檀信徒に安心をあたえる責任があると意識的にか無意識的にか知っているからです。
というわけで、逆説的ながら「檀信徒でない方の相談事については、1件1時間以内ただし5000円にて承ります」などという寺社仏閣のほうが、具体的な相談事をする際には職業倫理という観点から信頼がおけると考えられます。もちろん「事情によっては無料」という「正札」を掲げておきながら門前払いというのは職業倫理にもとる行為ですね。
※
そこで「経済的弱者やホームレスの人生相談を受けるお寺はないのか?」という件ですが、有無という二者択一でいえば存在します。ただし相談事一般にいえることですが、必ずしも求めていた回答が返ってくるとは限りません。
玄関の呼び鈴に出てみると見知らぬ人がいました。 「ちょっと話を聞いていただけますか?」 「どうぞ」 「自分は実家を出て、友達の家を泊まり歩いて仕事を探していましたが、泊めてくれていた友達から出て行ってくれと言われました」 「それで、どうなさいますか?」 「仕方ないので、実家に帰ろうとおもうのですが、お金がないのです」 「ご実家までの交通費が必要ということですね?」 「そうです」 「どちらまでですか?」 (ここで隣県の都市名を言い交通費3000円との発言) 「ご用立ていたしますし、ご返済も求めません。1時間ほど境内の掃除をしてください」 「……実は空腹でして」 「では、ご飯とお味噌汁を差し上げますので、もう少し長めにお手伝いいただけますか?」 「……失礼します」 私にはこのような体験があります。
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Name: 横から失礼
Date: 2011/06/09(木) 19:12
No:4320
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Title: Re:お寺の人生相談の料金について
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ビジネスでの相談の場合は見返りを要求するとして、友達からの相談にお金といった見返りを要求するか?を考えると早いように思います。
仏教では「慈悲」を説きます。「慈しみ」は、親しい気心の知れた友に対する気持ちです。 仏教実践にあたる人間の基本となる「慈悲」を実践したならば、友である相談者にお金を要求するというのは考えにくいのではないかと。
また、相手の苦しみを抜く行為は他でもない、相談された人間が徳を積める行為です。「ありがとう」と言う方の立場に当たります。 したがって、善行為をさせていただき金も要求したら二重取りになるのではないかと。
また、そもそも「布施」は布施する人が徳を積む行為です。布施する人自身が徳を積んでいるわけで、受け取るほうは「ああ、そうですか」と淡々と受け取るだけです。僧は物乞いじゃありませんので「くれヨ!」とはなりません。 ちょっとオーバーですが、布施する側は「金をやったんだ、感謝しろ」ではなく、「徳を積めた、よかった」という感じになりますね。
無料でやってる寺院の有無については、あるかどうかは分からないですね。全ての寺院を確認してませんし、探したことがないので。。すみません。
まあ、日本仏教は在家仏教といわれるくらいですから、ビジネスで仏教をやっている側面が強いと思っておいたほうがいいと思いますね。つまり「飯の種」です。
一般の人間に「徳を積む」という考えがほとんど見られず、貨幣・経済論理でモノを考える昨今、仏教の実践者(一応、日本の寺院の僧侶の方々とします)が「徳」という視点ではなく貨幣・経済論理で動いているとしても、どっちもどっちで、一方を否定するのは難しいのかなぁと思えますね。「仏教」の本来の姿とは違うと思いますが。
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Name: TAKESHI
Date: 2011/06/10(金) 20:11
No:4321
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Title: Re:お寺の人生相談の料金について
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> 経済的弱者やホームレスの人生相談を受けるお寺はないのか?
素直にシンプルに、行政やNPO法人の各窓口からあたってみたほうが懸命な気がします。 おそらく同じようなケースに数多く対応しているでしょうから。
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Name: あやか
Date: 2011/06/11(土) 19:13
No:4326
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Title: Re:お寺の人生相談の料金について
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私の経験を話させてください。
寺の人も人間なので寺によると正直思います。
悩んで相談に行って、あっさり嫌み言われて帰されたり
弱みにつけこんで寺に通うよう、私の言う事は仏様の言う事よ!と言う尼僧さんが居たり。
タケシさんと同じ考えです。
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Name: 若輩者
Date: 2011/06/12(日) 23:40
No:4333
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Title: Re:お寺の人生相談の料金について
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実際、本当に生きた仏様のような住職、スタッフの方々がいらっしゃるお寺は存在します。たまに通う東北のお寺のことですが、そこは人生相談は無料、コーヒー等のおもてなしが付き、対面に限らず、電話相談も二十四時間無料で受け付けています。仏様の教えを基に「生きることはなんぞや」を丁寧に教えて下さり、寄付の要請もなければ、お寺との関わりを強要することもありません。生きる場を失った方へは、場合によってはお寺の仕事を手伝う代わりに、無償で一定期間の滞在を許可したりもされてます。また、本業の方でも、亡くなった後にまで階級が付かないように、遺族に負担がかからないようにと、戒名も付けない、読経も格安、お墓の管理費維持費も頂かないなど、ひたすら人を思い、金銭とは無縁のお寺です。全国にそのお寺のファンがいるそうです。私は檀家ではありませんが、いつかそのお寺の役に立つことをしたいと思っています。
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Name: 龍男
Date: 2011/06/14(火) 18:30
No:4334
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Title: Re:お寺の人生相談の料金について
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皆さん、色々なご意見を有り難うございます。 これからじっくり読ませて頂きます。
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Name: 若輩者
Date: 2011/06/11(土) 05:58
No:4322
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Title: お寺参り
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ある事柄を自ら祈願するとき、直接お寺に行って仏像に面と向かって祈願するのと、自宅の仏壇で祈願するのとでは、何が違うのでしょうか?
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Name: hotoke
Date: 2011/06/11(土) 13:42
No:4323
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Title: Re:お寺参り
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私はお寺さんではありませんが明らかに何かが違うと思います。 よくお願い事はお寺の仏さんにして、お仏壇やお墓のご先祖さんには「安らかに成仏しますように」と成仏を願うことが第一だと聞いております。 自宅の仏壇はお願いごとではなく、故人やご先祖様を供養する場ではないでしょうか? お願いごとはお寺や神社の仏さん、神様にするものではないでしょうか?
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Name: 若輩者
Date: 2011/06/11(土) 18:21
No:4324
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Title: Re:お寺参り
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HOTOKEさん回答ありがとうございます。私の説明不足ですが、仏壇というのは、仏壇の御本尊(仏像)という意味です。同じ仏様に対してお願いするのであれば、お寺でも自宅でも同じではないかと思ったのです。
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Name: 空
Date: 2011/06/11(土) 19:09
No:4325
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Title: Re:お寺参り
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家の仏壇にお参りするのも大きな寺に行ってお参りするのも一緒です! 同じ仏を拝みます。
例えば本尊が阿弥陀様なら阿弥陀様なのです、同じ。
真言さんとかなら大日如来を祀るので、 今日は縁結びを愛染さんに、身体健全を不動さんにと仏壇の前で真言を唱えればイイのではないでしょうか?
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Name: 天台沙門
Date: 2011/06/12(日) 10:52
No:4331
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Title: Re:お寺参り
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本質的に変わりありません。
神社仏閣をはじめとする宗教施設のある場所や、巨石・滝・神奈備などの特異な景観を眺められる場所を「聖地」と呼びます。昨今では、オカルトやスピリチュアルな意味を感じさせる「パワースポット」という表現が多用されていますが、いずれにせよ「神聖なる非日常的な場所」という点では同じです。 そういった「神聖な場所」を家庭に持ち込んだものが仏壇・神棚ですから、祈願の場所としては本質的に変わらないのです。
ただし、あくまでも仏壇・神棚が「家庭における神聖所」であるという意識があれば、の話です。
ですから、家庭という日常の場から離れて、普段の生活空間の外側にある社寺に参詣するほうが「聖地」の一要件である「非日常」を感じることができるので、「祈り」の効果は高いかもしれません。 もちろん、日々の祈願(=修行)を日常行為とすることにやぶさかでないとおっしゃるのであれば、祈りの空間を家庭のなかに恒久的に置くほうが効果的かもしれません。
これは貴方ご自身のライフスタイルによって、ご自身で選ぶべき内容と考えます。
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Name: 若輩者
Date: 2011/06/12(日) 20:15
No:4332
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Title: Re:お寺参り
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みなさんご回答ありがとうございます。仏壇に祈願するのもお寺に祈願するのも大差はないと知り、安堵しました。しかしやはりお寺に出向いた方が、確かに神経が澄まされて集中力が増すように感じます。上手に祈願を分けながら手を合わせたいと思います。
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Name: hotoke
Date: 2011/06/02(木) 08:26
No:4303
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Title: 読経について
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私の実家の宗派・仏壇は浄土真宗です。 2ヶ月程前に義母が亡くなり、現在、義父が実家で仏壇を見ています。 しかし義父も高齢なので、お水やお仏飯、お花を変えたりとなかなか細かいところまでは目が行きません。 そこで一ヶ月に2回位、片道2時間かけて実家に帰り、仏壇やお墓を見ようと思っているのですが、仏壇前で読経をする時、どのようなお経を読んでも構わないのでしょうか? 浄土真宗でも般若心経や観音経、十三仏真言、光明真言などをお唱えしてもよいのでしょうか? ある方から「あの世へ行けば宗旨宗派は関係ないので、何を唱えてもよい」と聞いたことがあります。 かと思えば「仏壇前でそら覚えのお経を読むのは、地縛霊や浮遊霊が寄って来るのでよくない」と書かれている本もあります。 何が正しいのやら?わかりません。
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Name: 勝運寺山主
Date: 2011/06/02(木) 12:03
No:4304
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Title: Re:読経について
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hotoke様へ 供養に関しましてはどの教えでありましても「心身よりご供養されるのであれば問題ありません」気持ちの無いお経はどんな高僧が唱えてもただの音読にしかなりません。 お経ですが必ずお経本を見ながらお唱えをしてください。 空暗記では唱えないでください。理由は経本の文字1字1字に深い意味が込められているためです。
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Name: hotoke
Date: 2011/06/02(木) 14:01
No:4305
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Title: Re:読経について
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ありがとうございます。 お経の意味をよく勉強して唱えたいと思います。
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Name: 浄土真宗門徒
Date: 2011/06/11(土) 19:18
No:4327
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Title: Re:読経について
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浄土真宗は極楽に生まれさせて頂く事が阿弥陀様と約束されてるので般若心経や観音経、真言などは唱えません。 今、一度、浄土真宗の教えを学んでみてはいかがでしょうか?
他宗教を否定はしてませんが
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Name: 金持ち
Date: 2011/06/12(日) 08:03
No:4329
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Title: Re:読経について
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ほんとうに特殊のうりょくがあるのでしたら 為替相場の変動を教えてください。
明日ドルはどれぐらい上がりますか、下がりますか? 一番の底値と高値の時間を教えてください。
あの世という見えない世界が見えるのです。 人間の世界の明日の事位わけないでしょ。
これがわかれば、1日で何億円かかせげますので。
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Name: hotoke
Date: 2011/06/12(日) 08:34
No:4330
| 解決
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Title: Re:読経について
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みなさま、ご回答ありがとうございます。 いろんな考え方があるものなのですね。 ありがとうございました。 合掌
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Name: hotoke
Date: 2011/06/07(火) 19:05
No:4316
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Title: 過去帳の書き方について
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実家の過去帳ですが、血縁関係のない仏さんや他家にお嫁に行って亡くなったご先祖さんの戒名などが書いてあり、少しごちゃごちゃになっています。 新しく過去帳を書き直そうと思っているのですが、書く順番、決まりなどはありますか? 今の実家の過去帳はご先祖さんが亡くなった順番に書いてあります。 すなわち古い仏さんからスタートして書いてあります。
ある人に聞くと「あれは命日の日に書くんだよ。すなわち過去帳の上に7と書いてあれば7日が命日のご先祖さんの戒名を書くんだよ。」と言われました。
本当のところはどうなんでしょう?
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Name: 天台沙門
Date: 2011/06/08(水) 05:56
No:4318
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Title: Re:過去帳の書き方について
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「あれは命日の日に書くんだよ。すなわち過去帳の上に7と書いてあれば7日が命日のご先祖さんの戒名を書くんだよ。」 これは正解です。
使い方としては、毎月の1日には「1日」を開いてお勤めをします。そして、翌2日になれば「2日」を開いて……というわけですね。 同じ「日」のなかでは先に亡くなった方から記入していきます。これは自然なことでしょう。 記入する内容については決まりはありません。寺の過去帳でも、明治以前では戒名と寂年月日しか記入していなかったりしますが、やはり俗名・年齢・続柄も記入しておくほうが丁寧といえます。
おつきあいのあるお寺があるならば、そちらの住職さんにご相談いただくのが間違いありません。
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Name: hotoke
Date: 2011/06/08(水) 07:19
No:4319
| 解決
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Title: Re:過去帳の書き方について
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あき様 ご回答ありがとうございます。 古い過去帳は捨てたりいたしません。 大切に保存しておきます。 ただ、先祖供養に関しては、お寺のお坊さんやいろんな方の話を聞いていると、やはり書き換えの必要姓を強く感じております。
天台沙門様 ご回答ありがとうございます。 過去帳を書き換えることに関しては、菩提寺さんとよく相談して、菩提寺さんに書いてもらおうと思っています。 私も最近までは過去帳の数字に関係なく、古い仏さんから書くものだとばかり思っていました。 やはりいろんな方のご意見は聞いてみるものなのですね。 ありがとうございまいした。
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Name: 茶子
Date: 2011/06/07(火) 17:21
No:4315
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Title: お寺さん探しています
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神戸市内で大阪市天王寺区にある一心寺や四天王寺のような故人の遺骨を手頃なお値段で合祀してくれる様なお寺はないでしょうか?
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Name: ひとりぼっち
Date: 2011/06/05(日) 19:43
No:4308
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Title: おしえてください。
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兄が先日亡くなりました。
母も15年前に亡くなっています。 父も亡くなっています。
母の位牌を持っていますが、経済的に仏壇を買えずにいました。
@無理をしてでも仏壇は購入すべきでしょうか?
A大人になってからわかったのですがうちは日蓮宗ですが、母の時の葬儀は別の宗派でした。 おそらく位牌の魂入れも、葬儀と同じ宗派かと思います。 兄の葬儀は日蓮宗でやりました。
一緒に仏壇に入れても大丈夫でしょうか?
A開眼は仏壇を先に済ませてから49日にご本尊様、掛け軸、位牌に魂入れすればいいでしょうか?
家が狭くてお坊さん呼べないので先にお寺さんに仏壇を持っていこうと考えているのですが‥。
B49日法要は必ずしなくてはいけないでしょうか? 経済的に納骨と魂入れだけお願いしようと思っています。
すべてやるとなると相場はおいくらでしょうか?
長くなってしまいましたがどうかおしえてください。お願いします。
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Name: 天台沙門
Date: 2011/06/07(火) 11:14
No:4312
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Title: Re:おしえてください。
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Q1 無理をしてでも仏壇は購入すべきでしょうか? A1 無理をしてまで入手する必要はありません。お位牌にせよご本尊にせよ、目より高い場所にご安置いただき、日々のお供えをいただけばそれで充分です。
Q2 (異なる宗旨で開眼作法をしたお位牌を)一緒に仏壇に入れても大丈夫でしょうか? A2 大丈夫です。仏壇や神棚という家庭のなかの神聖所は、神仏のいます世界と人界とのターミナルと考えてかまいません。日本人の伝統的な宗教観では、まず「人のうえにある偉大な存在」の実在を認めたうえで、それを時と場合に応じてカミやホトケと呼びわけます。仏教の諸派は、仏教の目的である覚り/悟りに至る方法論の違いから分派しているにすぎません。カミとホトケをことさらに区別していないのに、どうして仏教の内側の様式で区別することがあるでしょうか。
Q3 開眼は仏壇を先に済ませてから49日にご本尊様、掛け軸、位牌に魂入れすればいいでしょうか? A3 私は同時に行っています。あえて別々に行う必要性を感じられません。
Q4 49日法要は必ずしなくてはいけないでしょうか? A4 私が預かる寺では、壇家さんのお住まいの場所にあわせてご葬儀当日に納骨をします。そういった場合に限らず、私は四十九日法要の具体的内容として本尊や位牌の開眼供養(魂入れ)を行っていますから、開眼法要がそのまま四十九日法要となるとお考えください。
なお、これらは天台を宗とする者の考えで、日蓮宗の住職さんとは異なる点もあるかとおもわれます。以上、ご参考までに。
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Name: ひとりぼっち
Date: 2011/06/07(火) 12:34
No:4313
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Title: Re:天台沙門様
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ご丁寧なご回答ありがとうございました! 参考にさせていただきます。 経済的にやってあげることができずにひとりで悩んでいました。
毎日お線香とお茶とお水を位牌にあげているのですが仏壇がないとだめなのかとずっと思っていました。
兄の49日は位牌の魂入れと納骨をする予定です。
経済的に余裕ができたら、仏壇を買って母と兄の供養をしてあげたいと思います。 本当にありがとうございました!
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Name: hotoke
Date: 2011/05/27(金) 14:40
No:4294
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Title: お位牌
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4月上旬に義母が亡くなり、先祖供養のことなどを色々勉強しているのですが、人や宗派によっておっしゃることがまちまちでどれが正しいのかわかりません。 @まずお位牌ですが、宗派に関係なく必ず黒いお位牌を仏壇内に祀らなくてはいけないでしょうか? また逆に祀らなくてもよいと言われている浄土真宗の場合でもお位牌を祀りたければ祀ってもよいのでしょうか? A葬儀の時に使った義母の大きな遺影ですが、ずっと家に置いて飾っておいてもよいのでしょうか? それとも49日や百か日が過ぎればお寺に収めて処分してもらった方がよいのでしょうか? B遺影を置く位置ですが、仏壇の横という決まりごとはあるのでしょうか? 我が家では仏壇の向かい正面にあたる柱にかけてあります。
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Name: 天台沙門
Date: 2011/05/27(金) 17:50
No:4295
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Title: Re:お位牌
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Q1「黒いお位牌を仏壇内に」 A1 白木の位牌を使う期間は満中陰(四十九日)までとし、それ以降は正式の位牌に変えましょうという趣旨です。 位牌というと黒漆に金字が一般的ですが、デザインはお好みでよろしいでしょう。また、仏壇があれば仏壇内にお納めすることは当然として、仏壇がなかったり置く場所が無いというのであれば、座ったときの目の高さを基準にしてそれより高い位置にお祀りしましょう。 なお、真宗さんでの位牌の扱いについては、私は天台を宗とする者ですからお答えいたしかねます。
※
Q2「遺影ですが」 A2 お飾りする場所があるならば、そのまま飾られていてよいでしょう。 また、処分なさる場合も寺に納めるという必要は感じません。(現実問題として、ご依頼は受けますが)
Q3「遺影を置く位置」 A3 決まりはありません。 管見ながら、大きめの遺影は仏壇のある部屋の長押など高いところに掛けておいて、小さな遺影は仏壇の所在と関わらず日常的な場所に置いておくことが多いようです。
遺影が一般化するのはどんなに早くても明治からこちらのことです。ですから、いろいろな信仰上の習慣ができあがる過程では写真というものは考慮外だったはずでして、つまりは決まりはなかったということになります。とはいえ、写真一般は記憶を呼び戻すための役割をもっていますから、ポートレイトは人に対する記憶を呼び戻す力があります。この観点からすれば、遺影を大事に感じるのは位牌を大事に感じることと一緒で、つまりは遺影や位牌という「物」が故人の人格を象徴するものになっているということです。
したがいまして、ご遺影というものについては、お位牌に準じた扱いをなさればよろしいと考えております。
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Name: 悩める主婦
Date: 2011/05/21(土) 19:07
No:4272
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Title: 気になって仕方がないです。
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はじめまして。 お伺いしたいことがありまして。
私の嫁ぎ先は、神道なんですが、(義祖父が神主であった) 私が嫁いでからは、いろいろなことがあり、日蓮宗のご住職とその母(私の実のおばなのですが)に助言頂き、悩みを聞いていただき、助けられて、日蓮宗の曼荼羅を頂きました。 私だけの心のよりどころにと・・・・頂きました。
神道用の一般的にいう「ご仏壇」に、日蓮宗の曼荼羅を飾ってよいものか? 悩んでいます。 どなたか、お教えいただけませんでしょうか?
夫は、完全に神道です。なので、お位牌は勿論、神道用です。 夫の実家とは、同居しておりません。
曼荼羅を一緒に「おまつり」は、まずいのではないのか?いいのか? 悩んでおります。 息子は、「どういう風におまつりしようと、ご先祖をご供養する心が大事」気にしないでいいのでは・・・・そう申しております。
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Name: TAKESHI
Date: 2011/05/22(日) 02:17
No:4274
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Title: Re:気になって仕方がないです。
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神道の場合だと、祖霊舎は先祖さんだけで、祭神は神棚です。 日蓮曼荼羅を祖霊舎に入れる必要はありませんよ。曼荼羅はお厨子に入れて拝めばよいのでは?
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Name: 天台沙門
Date: 2011/05/22(日) 08:33
No:4277
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Title: Re:気になって仕方がないです。
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厳密にいえば、神道系の祭祀物は神棚にお祀りし、仏像をはじめとする仏教系の祭祀物は仏壇にお祀りするのがスジでしょう。
ですが、仏壇がないので神棚に、ということも次善として認められるべきと考えます。逆の場合、すなわち神棚がない家庭が神社でいただいた御札を仏壇に祀ることを考えればよく、神仏は同じものと考えることが日本の伝統的な信仰態度といえます。
もっとも「神は死者を忌む」ことになっていますから神棚に仏式の位牌を納めるのは問題になるでしょうが、仏像や曼荼羅は死者ではありませんから依り代の一種とみなせば良いのではないでしょうか。ただし、日蓮宗として本尊である曼荼羅を神道の依り代と看做すことをどう判断するかは、天台を宗とする者に判断はできません。
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Name: 悩める主婦
Date: 2011/05/25(水) 10:54
No:4292
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Title: Re:気になって仕方がないです。
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TAKESHIさま
ご回答ありがとうございます。 祖霊舎はまだないんですね。 夫の仕事の都合で実家と離れているためです。
天台沙門さま 一緒のお礼コメで申し訳ありません。 懐深いお答えありがとうございます。 何やらすっきりいたしました。 今のところ、祖霊舎がありませんので、一緒にさせて頂きます。
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Name: アーガス
Date: 2011/05/21(土) 12:37
No:4271
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Title: 仏前式での誓詞?
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仏前式を行うのですが、その中で新郎新婦が誓いの詞を読まなければいけないのですが、インターネットで調べても神前式用の誓詞例はあるが、仏前式用のものが見つかりません。 どなたか、1例でも大丈夫ですので、教えてもらえませんでしょうか?
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Name: 天台沙門
Date: 2011/05/22(日) 11:30
No:4279
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Title: Re:仏前式での誓詞?
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以下、芝金声堂刊『天台常用法儀集』より (原文は漢文、私に書き下し) ※
宣誓(結婚者、之を読み戒師に呈ず。)
我ら、恭しく仏天の照鑑を仰ぎ、結婚の式典を挙ぐ。希わくば今日以後、異体同心。以て公道を修め正法を興し倫常を完うし群生を利せんと期す。 謹んで誓約す。
年月日 新郎某甲 新婦某乙
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以下、四季社刊『天台宗祈願・回向文例集成』より ※
結婚者誓詞 誓詞 私達は、ここに諸仏善神のご加護のもと、○○寺御本尊さまの御前において、厳かに結婚の式典を挙げました。 今日より以後は、心をひとつにして相共に円満なる人格の完成に努め、いろいろな力に守られ生かされているお互いであることを自覚し、万物の御恩に感謝の合掌を捧げるとともに社会繁栄のために菩薩の行を実践することに努めます。 ここに謹んでお誓いいたします。
年月日 新郎某甲 新婦某乙
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以上ご参考までに。
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