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Name: ケンケン
Date: 2011/05/12(木) 18:31   No:4267
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Title: 初盆    
初盆の事で伺います。内縁の妻の初盆ですが実家の方から遺骨分けと位牌分けをしてもらいました。妻の実家にも当家にも遺骨と位牌があります。こんな場合両方で初盆をしなければいけないんでしょうか?そもそも初盆とは何をすればいいんでしょうか?


Name: 天台沙門
Date: 2011/05/14(土) 22:47   No:4268
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Title: Re:初盆    
>そもそも初盆とは

その方が亡くなって初めて迎えるお盆のことです。現在では、通年の盆とは異なった方法で行事をする事が普通です。その方法は地域ごとに異なりますが、それは宗旨の違いではないということだけは知っておいてください。
地域地方の風習の違いによって7月盆と8月盆(月遅れ盆)とが共存しています。ですから、貴方のお住まいの地域が7月盆なのに、ご実家の地域が8月盆なのでどうしても2回することになるという可能性は充分にありえます。



そもそも「お盆」とは日本の民俗信仰に根ざすもので、広い意味での夏祭りのうち、仏教儀礼を主とするものです。この「夏祭り」の目的は、それぞれの家が神様(ご先祖さま・田畑の神様・病気の神様・水の神様、などなど)を迎えて接待をして帰っていただく、というものです。

さて、ここで考えるべきは「神様は時間と空間に制約を受ける存在かどうか?」ということです。

私は、当然のことながら神仏という偉大な存在(Something the Great)は時間と空間だけでなく、民族や言語や文化や文明などという人のおもいなしを超越した普遍的な存在であると信じています。ですから、同じ時間に別の場所で神様をお迎えしてもなんの不都合もないと理解します。

以上、ご参考までに。


Name: ケンケン
Date: 2011/05/15(日) 10:40   No:4269
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Title: Re:初盆    
天台沙門様ありがとうございました。よくわかりました。




Name: 紗耶香
Date: 2011/05/07(土) 15:43   No:4264
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Title: 一周忌法要について    
7月に父の一周忌を控えております
今回大震災の被災地に
住んでおります
お墓があるお寺様も被災してしまいました
墓が倒れているかも確認できていません
この状況で法要が出来るかわからないでいます
来年三回忌と一緒に法事してもよろしいでしょうか?お寺様は日蓮宗になります



Name: 天台沙門
Date: 2011/05/10(火) 10:59   No:4265
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Title: Re:一周忌法要について    
まずはお見舞い申し上げます。

一般論としては、一周忌と三回忌は別々にすべきと考えますし、まずは菩提寺の住職さんとご相談いただくべきなのですが、それも難しいようです。事情が事情ですから、無理をすることなく、落ち着かれてからということでよろしいでしょう。

きちんと法要を営まずとも、ご命日に仏壇のお位牌を前にして、多少あらたまったかたちでお参りいただくことで一周忌法要の代わりとなるかと考えます。

以上、ご参考までに。


Name: 紗耶香
Date: 2011/05/10(火) 14:01   No:4266
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Title: Re:一周忌法要について    
お返事ありがとうございます

落ち着きましたら改めて一周忌の法要いたします

命日に仏壇に手を合わせます




Name: カノン
Date: 2011/05/02(月) 13:46   No:4262
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Title: 死産した子の遺骨について    
もう数年経ってしまいましたが、妊娠6ヶ月だった私は
病気により、医師に堕胎を勧められ死産しました。
時期が時期だったので、堕胎といっても分娩するしかなく、
生まれてくる直前まで確実に動いていた子でした。

その子の遺骨ですが、旦那の実家もお墓も遠かったため、
自宅にて保管していました。しかし、その数年後、
事情により離婚することになりました。
旦那より、「遺骨を分けないか」と申し出があったのですが
私はそんな話を聞いたことがなく、遺骨を分けるなんて
とんでもないと思い、当時、3歳だった娘を私が引き取り
その遺骨は旦那に託しました。
その後旦那は、自分の実家にお墓に入れ供養をしたようです。
その元旦那の実家も、お墓も遠い上に、もう何年も元旦那とは
連絡をとっておりません。もちろんお墓もどこにあるのか
わかりません。しかしずっと、その遺骨の事が気になって
過ごしてきました。私は何もしてあげていません。
自宅に保管してあった時に、お線香をあげたりお水を交換した
だけです。
その遺骨と遠く離れてもう何年も経っていますが、
何か私にできることありませんか?
私は何をすればいいのでしょうか。
供養はどうすればいいのでしょうか。

よろしくお願いいたします。



Name: 天台沙門
Date: 2011/05/03(火) 17:00   No:4263
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Title: Re:死産した子の遺骨について    
私は、その人の存在を記憶し続けることが「供養」の本質である、と信じております。その際、記憶されるべき人格は年齢や生死の様相で区別されるべきではありません。



>私は何をすればいいのでしょうか。

死産という不幸な生涯だったにせよ、貴方のお子さんだったという事実に変わりはありません。そのお子さんのことを覚えていてさしあげれば、それで充分でしょう。

>供養はどうすればいいのでしょうか。

先に述べた通り、故人を記憶するということが供養の基本と私は考えています。
ですが困ったことに、人はなにかのよすががなければ記憶を維持することができません。「お墓」というものは亡くなった人の記憶装置なのですが、とくに日本の伝統のなかでは「位牌」というものが亡くなった人の記憶を具体化する触媒としての役割を担ってきました。
ですから、お子さんの存在の象徴である位牌を身近に置くということが、「供養」のひとつのスタイルとなります。そのうえで、娘さんのご兄弟(ご姉妹?)が、ここではないどこかにいらっしゃるというつもりで、おすごしいただくことをお勧めいたします。




Name: 三陸
Date: 2011/04/28(木) 09:36   No:4259
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Title: 神棚の鏡の事で。    
神棚の鏡を新しいのに替えました。
古いのは、どの様に処分したらいいでしょうか?
宜しくお願いします。




Name: 浄徳寺隆胤 [URL]
Date: 2011/04/30(土) 10:12   No:4260
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Title: Re:神棚の鏡の事で。    
浄徳寺の住職を致しております隆胤と申します。
神社の古神符納所におさめられるか、電話などにて事前にお伺いの上、お寺にお持ちになるのがよろしいでしょう。
お近くになければ、当方にお送り下されば処分致します。


Name: 三陸
Date: 2011/04/30(土) 23:39   No:4261
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Title: Re:神棚の鏡の事で。    
浄徳寺隆胤様
教えて下さいまして有難うございます。
古いお守りは、神社の古神符納所におさめていましたが、鏡はどうなのかなと思っていました。
さっそく地元の神社に行って、おさめて来ます。
有難うございました。




Name: やぁ
Date: 2011/04/22(金) 06:04   No:4257
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Title: 水子について    
はじめまして。
先月小さな命を諦めてしまいました。
ギリギリまで考えて、自分にもっと経済的に余裕があったら良かったのにと、こんな風に諦めたなくて済んだかもしれないと。
産みたい気や持ちもあった。
けど諦めてしまって何処かで安心してる自分がいる。
守りたい物は結局自分だったのかも知れません。
産む事も怖くて、諦めてしまうのも怖くて、こんな無責任な自分凄く嫌で苦しくて。
自分を傷つけても何もかわらない。
一番傷つけてしまったのは日の目が見れなかった我が子で。
一緒にいるパートナーは今までに三人の子を水子にいます。
パートナーは『俺はもぉ呪われてる。から今更供養に行っても意味か無い』と言うのです。
私的にそれは違うと思いのですが!?
なんだか分かりません。



Name: 天台沙門
Date: 2011/04/23(土) 17:06   No:4258
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Title: Re:水子について    
残念なことでした。お悔やみ申し上げます。

さて、私は死者というものは、死因や年齢の如何を問わず、無条件で敬意をもって弔われるべき存在であると考えています。この「弔い」の具体的な内容は、生者が死者の存在を忘れない、という一点につきます。

この震災においても、報道で「サバイバー・ギルト(生存者の罪)症候群」という言葉がちらちらと聞かれますが、生者は死者に対して色々と「申し訳なさ」を感じるものです。なぜ自分だけが生き残ってしまったのだろうとか、自分が代わりに死ねばよかったとか、もっと何かをしてあげられたに違いないとか、きちんと産んで育ててあげられたに違いないとか。

いわゆる「祟り」というものは、そういった申し訳なさが背景にあります。死者とは無関係だけれども生者にとって都合の悪いことがあると、生者は申し訳なさから逃れようと死者に責任をおしつけてしまいます。この場合の「都合の悪いこと」が「祟り」と表現されるのです。


世間で「供養」と呼ばれる宗教的儀式を行うことは、死者に対する気持ちを儀式というカタチで表現することにほかなりません。「気持ち」という目に見えない物/事を、「儀式」という目に見える物/事にすることで、人は救われる(囚われた気分が解放される)ものなのです。
ですから、貴方ご自身が「一番傷ついているのは我が子である」という自覚をお持ちなら、形式の如何を問わず、そのお気持ちを大切になさることで、貴方ご自身はいわゆる「水子の祟り」というものからは自由になることができるでしょう。

おわかりですね。
パートナーさんの「呪われて」という表現は、パートナーさんがご自身の「申し訳なさ」を自覚したくないが故の表現なのです。




Name: なな
Date: 2011/04/15(金) 11:49   No:4254
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Title: お位牌について    
はじめまして。ご相談させていただきます。
私には諸事情で20年以上音信不通の父と弟がいます。
父と弟は市営住宅に住んでいましたが二ヶ月ほど前に
市の方から弟が行方不明になっているため親族で
ある私に部屋の明け渡しに立ち会ってほしいと連絡がありました。
その時初めて10年以上前に父が他界していたことも知りました。
明け渡しに部屋を訪れましたら、父のお骨が残されており
私が引き取り現在は私の家にあります。

いずれ納骨しようと考えておりますが、弟とは一切連絡が
取れないので、戒名などはいただいたのか?
お位牌は作ったのか?などが一切わかりません。
このような状態でお位牌を私が作ってよいものか
どのように供養していくのがよいのかがわかりません。
よろしくお願いいたします。



Name: 天台沙門
Date: 2011/04/18(月) 12:33   No:4255
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Title: Re:お位牌について    
少なくとも、仏式で葬儀を行った場合には白木の位牌を用い、それに戒名または俗名を記して、遺骨と一緒に施主さんにお預けするのが一般的です。ですから戒名をおもちでなかった(仏式の葬儀は行われなかった)と推察できます。

納骨なさる墓所がどういった所か不明ですが、寺院墓所であれば、そこの住職さんに戒名をいただいたうえでの納骨になるでしょう。その戒名によって正規のご位牌をお作りください。公営墓地だったり、おつきあいのあるお寺さんがいないなどの事情で、すぐに戒名をつけることができないのでしたら、私は無理に戒名をつけることもないと考えます。

いわゆる「ご供養」の基本は、その方が存在していたということを記憶していく、ということです。私は「春の彼岸・夏のお盆・秋の彼岸・冬の正月、そして故人のお誕生日かご命日に思い出してさしあげてください」と、お願いしています。

以上、ご参考までに。


Name: なな
Date: 2011/04/19(火) 12:53   No:4256
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Title: Re:お位牌について    
ありがとうございました。



Name: きい
Date: 2011/04/15(金) 05:33   No:4252
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Title: 日蓮正宗について    
僕は小さい頃より創価学会を通じて、日蓮正宗の信仰をしていました。学会が宗門から破門されてからは、お寺の信徒になったのですが、学会員を折伏しなければいけないプレッシャーに耐えきれず辞めてしまいました。ですが、現在深刻な悩みがあり、悩みを解決するために再び日蓮正宗を信仰しようと思うのですが、日蓮正宗に戻って大丈夫でしょうか?


Name: 天台沙門
Date: 2011/04/15(金) 10:03   No:4253
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Title: Re:日蓮正宗について    
一般的に、行うことに不安があることは行わないほうが無難といえます。
より正確にいうならば、人は行為の「長所」と「短所」を想定したうえで、行動するかどうかを決定します。この想定が正しいことが確実ならば、短所の少ない行為または長所の多い行為を選択することに不安は覚えません。行為の選択に不安がつきまとうのは、想定つまり将来への見通しが常に不確定だからです。

ご質問の場合、日蓮正宗を信仰し続けるうえで発生するプレッシャーが、その信仰から離れられた理由となっています。ということは、今後は折伏という行為によるプレッシャーを感じずに済むという確信がない以上、また同じ苦しみを得るということが想像できます。同時に、そうでありながらも現在お持ちの悩み事の解決に日蓮正宗の信仰が必要と感じておられます。
つまりは貴方は「長所」と「短所」との比較をせねばならないというわけです。

具体的には、創価学会員に対する折伏をするプレッシャーという短所と、日蓮正宗の信仰によって与えられる安心という長所を比較して、長所が多いという判断ならば日蓮正宗の信仰をお続けになればよろしいでしょう。いうまでもなく、これは一種の賭けです。

釈尊は「犀の角のようただ独り歩め」とおっしゃいました。
ご自身の選択は、ご自身だけのものです。


(付記)
ハンドルの通り、私は天台を宗とする者である。よって私は「天台とは異なる『法華経』信仰体系」という意識を日蓮正宗・創価学会に対してもっているが、一義的には相違そのものは宗教的価値判断と峻別すべきと考えている。




Name: 四季
Date: 2011/03/25(金) 19:40   No:4220
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Title: 先祖供養。    
先祖供養を怠ると、不幸になりますか?
不幸になるという人もいるし、逆に、供養をすると先祖が束になって苦しみを訴えてきて不幸になるという人もいます。周りを見ても、先祖供養に熱心な人が必ずや幸福ではないし、仏壇すらない家庭が公私共に順風というケースもあります。幸不幸と先祖供養との間に、呼応関係はあり得るのでしょうか?それとも先祖供養とは、先祖への恩や追善といった、心の働きかけに限定されるものなのでしょうか?



Name: 勝運寺 山主
Date: 2011/03/26(土) 09:34   No:4221
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Title: Re:先祖供養。    
四季様へ
冷静に考えて下さい。子供の不幸を願う親は誰も居りません。
供養を怠る言う事自体いろいろな理由が有り滞るのです。
此の事は御先祖様はすでにご存じの筈ですから祟ると言う様な事はけして在り得ません。また、供養とは何かと言う事を考えて行くと何処に居ても何時でも出来ますよ。供養とは「先祖に対して感謝をするという事です。」此れだけなのです。けして仏壇を購入して仏様をおいて拝んだり。先祖の眠る墓所へ行き供物を備えるとかでは有りません。肝心なのは「今、自分がこの世に生きているのが御先祖様の御蔭であるという事を日々感謝をして生活をする。」ということです。物が満ち足りていてもその人が幸福であるかどうかはわかりませんし物が無いからと不幸であるとは言えません。
「日々、感謝の気持ちで暮せるかどうかなのです。」
不幸を招くのは先祖では無く、己の我慾から来るものです。
他人に「先祖供養を怠ると祟りが有る・・・」の様な事を言う人間はすでに己の我慾により祟られている証拠です。こうならない様に我々は日々、反省し感謝する事が大切なのです。


Name: 四季
Date: 2011/03/30(水) 08:38   No:4236
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Title: Re:先祖供養。    
勝運寺様ありがとうございます。参考になりました。先祖への感謝の点で言えば、毎日仏壇に供えをしたり、お墓参りに行くなど心がけています。しかし恥ずかしながら親戚を見渡すと、供養を疎かにする不届き者が多いです。それでいて運勢が良く、順風満帆に人生を送る者もいます。その人の持っている運勢もあるのでしょうが、供養を怠ると、いずれ加護もされなくなるのでしょうか。私が先祖であれば、供養を怠る子孫より供養してくれる子孫を大切にしますが…。

Name: 勝運寺山主
Date: 2011/04/05(火) 07:47   No:4250
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Title: Re:先祖供養。    
供養を行う事で起こるのはは物質的な平安を得るのではなく精神的な平安を得る事が出来。冷静な判断が出来る為、物質的にも豊かになる事が出来るのです。

Name: 天台沙門
Date: 2011/04/09(土) 16:14   No:4251
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Title: Re:先祖供養。    
>先祖供養を怠ると、不幸になりますか?

正直に申し上げて、わかりません。
その理由は、人の幸不幸を決定する原因があるとしても、その原因は「先祖供養をするかどうか」に限らないからです。

仏教の基本原理は「縁起説」です。
因という直接的原因と縁という間接的原因とが結果をもたらすのであり、個別の事/物は独立しては存在できないという、よく考えればあたりまえのことです。
強いていえば、先祖供養以外の善なる因をもって「幸」という善なる果を得ることも可能ということですし、しかし逆に、どのような善因があってもそれを打ち消す悪因や悪縁が存在すれば、全体の因縁の結果は「不幸」の方に動いてしまうということです。


ここで大切なことは、過去の因縁が現在の果をもたらしたことと同様に、現在の果は将来に対する因縁になっているということです。
縁起説に基づくと、現在の「幸」が努力なしに永続することは否定されますし、現在の「不幸」を克服する努力が無意味であることも否定されます。




Name: あすか
Date: 2011/03/30(水) 23:44   No:4238
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Title: 御本尊様について    
以前十三佛の御本尊様で相談しました。御釈迦さまの掛け軸を知人から貰えることになりました。仏壇の御本尊様をお釈迦さまを祀った場合何か宗派になるんでしょうか?当方はあくまでもどの宗派とかこだわりたく有りません。


Name: 勝運寺 山主
Date: 2011/03/31(木) 01:33   No:4239
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Title: Re:御本尊様について    
あすかさま
宗派を考えて行くとお釈迦様を本尊とする宗派は禅宗系です。
しかし良く考えて下さいお寺でさえその宗派の本尊を本尊としてお祭りしている処は少ないのです。当方のお寺でも真言宗ですが本尊は不動明王様です。真言宗の本尊は大日如来です。また、有名な浅草の浅草寺は本尊は観音様ですが宗派はと言うと天台宗です。
あまり宗派の事を考えないでください。


Name: あすか
Date: 2011/03/31(木) 20:54   No:4241
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Title: Re:御本尊様について    
勝運寺 山主様 回答ありがとうございます。お釈迦さまを祀った場合お経は般若心経でいいんでしょうか?


Name: 勝運寺山主
Date: 2011/04/05(火) 07:42   No:4249
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Title: Re:御本尊様について    
般若心経で大丈夫です。





Name: さえさえ
Date: 2011/04/01(金) 22:53   No:4244
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Title: 開眼で困っています。    
位牌と仏壇の御本尊様の開眼をしたいと思います。両方一回でやってもらうと1万5千かかります。それで家計の都合で別々に今月、来月でしてもらおうと思います。可能でしょうか?

その際位牌からか仏壇の御本尊様からかどちらを先にしてもらえばいいでしょうか?




Name: 通行人
Date: 2011/04/02(土) 11:12   No:4245
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Title: Re:開眼で困っています。    
別々にすると各々にお膳料やお車料などの雑費がかかるのではないですか。
開眼は一万五千円なら格安の良心的ですよ。
普通は三万円ぐらいで、お膳料、お車料で全部で五万円ぐらいと思いますが。


Name: さえさえ
Date: 2011/04/02(土) 14:43   No:4246
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Title: Re:開眼で困っています。    
回答ありがとうございます。位牌、御本尊様各々7500円です。お坊さんを自宅に来てもらうのではなく直接お寺さんに行きます。タクシーは使いません。


Name: 天台沙門
Date: 2011/04/03(日) 06:54   No:4247
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Title: Re:開眼で困っています。    
布施料の金額はさておき、どちらかを先になさるのでしたら本尊さんを先にしてください。
もともとも聖武天皇が「国の一軒一軒に仏像を奉れ」と命じたのが個人レベルで仏像をまつる場所としての仏壇の初めといえますし、今の仏壇の直接の原型は個人個人が祈願のために奉った「念持仏」を納めた「厨子」です。
本然的には、まず本尊さんありきです。

なお、法要の分散については、参列者が大勢になることを目的に複数の方の年回法要をまとめて行うことを是とする僧侶と、1回当りの布施料を低額にして年回法要は各自に対して別々に行うことを善しとする僧侶とがいます。
これは「見解の相違」というだけのことで、どちらが正しい/誤りの話ではありません。


Name: さえさえ
Date: 2011/04/03(日) 08:34   No:4248
解決    削除 
Title: Re:開眼で困っています。    
天台沙門様ありがとうございます。よくわかりました。




 
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