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Name:
Date: 2011/03/03(木) 02:23   No:4181
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Title: お塔婆の意味    
お塔婆ってどんな意味があるのでしょうか?

週に一度、お寺に行く度に線香とお塔婆をあげて(表現がわからなくてすみません)くるのですが、週に一度のお塔婆ってやりすぎですか?

また、お寺へ行く時のマナーを教えてください。

神社なら、二礼二拍手一礼とか、真ん中は歩かないとか聞いたことがあるのですが…



Name: 天台沙門
Date: 2011/03/04(金) 18:33   No:4191
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Title: Re:お塔婆の意味    
「お塔婆」は正式には「卒塔婆」と言いまして、古代インドのサンスクリット語の「ストゥーパ」という言葉の音に漢字をあてたものです。「塔婆」が略され「塔」になりました。
もともとストゥーパとは墓を表す言葉でしたが、仏教では仏舎利を祀った建造物つまり釈尊のモニュメントを示す言葉になります。釈尊のモニュメントを建てることは善行ですから、例えば日本では大寺院に五重塔が建造されました。その五重塔を簡略化したものが、五輪塔であったり板塔婆であったりするわけです。
つまり、卒塔婆とは釈尊にならったお墓の様式なのです。あとは抽象化された仏像でもあるのですが、ここでは措きます。



週に一度、卒塔婆をあげられているとのこと、ありがとうございます。
この件については、私としては月命日だけでも充分すぎるのではないか、と感じます。



寺院参拝のマナーですが、住職さんに挨拶をして、本尊さんにお参りをして、それから墓参していただければ丁寧でしょう。
住職さんへの挨拶は、訪問者としての礼儀として「今日も来ました」程度に声をかけていただければ充分です。
また、本尊さんへのご挨拶は願い事(墓参・参拝の目的)を言葉にして自分の耳で聞くことをこころがけてみてください。

以上、ご参考までに。


Name:
Date: 2011/03/04(金) 19:06   No:4192
解決    削除 
Title: Re:お塔婆の意味    
由来まで教えてくださってありがとうございます。

初めてお寺へ行った際、お塔婆をあげるタイミングというか、回数を聞いたら「お気持ちですから」とのことだったので、毎回あげていました。

ちょっとした拍子に立てかけられているお塔婆を見たら、私の名前のものばかり(同姓の方かもしれませんが)だったので、気になってしまいました。

これからは、月命日にしようかと思います。

本当にありがとうございました。




Name: 燈明
Date: 2011/03/02(水) 00:21   No:4172
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Title: 先祖の供養    
供養について、深く探れば探るほど、分からなくなってきます。戒名が無ければ成仏できないと言う人もいるし、生前の名前のままで十分だと言う人もいる。位牌は短冊に書けば宜しいと言う人もいるし、一柱ずつ安置すべきだと言う人もいる。位牌の大小、供物の並べ方、仏壇の向きも正確にしないと霊障が起きると言う人もいるし、先祖が霊障を起こすわけがないと断言する人もいる。…家の仏壇には位牌の代わりに短冊に先祖の生前の名前を書いて安置しております。戒名は宗教的な理由からありません。花を供え、お経を唱え、食べ物を毎日供えます。お寺やお坊さんとも縁は薄いです。遺族の気持だけでは先祖は成仏しないものなのでしょうか。皆さんは個人的にどうお感じになりますか?


Name: 一九
Date: 2011/03/02(水) 05:51   No:4174
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Title: Re:先祖の供養    
ここでもいろんな意見が出て面白いと思いますよ。
何がよいかは自分がクリエートするんですけど、先祖の習慣はできるだけ尊重したほうがよいと思います。
代々戒名や位牌があって、本人もそのつもりで亡くなられたのであれば、それはあったほうがよいと思います。

先祖供養は家族関係の延長ですから、大切なことは先祖への思いやりです。
人によりますが、特に依存的な人は、先祖からの霊障を受けやすいようです。
理屈の問題ではなくて感情の問題ですから。

先祖が成仏するかどうか?
家族関係で残したその人の思いを、生きている人が十分に感じてあげたらよいです。
それから自分の好きな神仏(キリストでOK)に成仏をゆだねること。



Name: 燈明
Date: 2011/03/02(水) 09:45   No:4175
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Title: Re:先祖の供養    
一九さんありがとうございます。さまざまな意見がある中で、やはり私も供養の精神が根幹であると思います。しかし、葬儀にも、火葬埋葬にもお坊さんは呼ばない、お寺で供養をしていない、戒名はない、位牌について教えてくれる人もいないという具合で、あまりにも簡略すぎると私的には思っています。親や伯父伯母が某に入っている影響です。祖父母の霊も供養しておりますが、生前、その某を内心では毛嫌いしておりました。難しい問題です。

Name: 天台沙門
Date: 2011/03/02(水) 15:27   No:4177
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Title: Re:先祖の供養    
よくいわれることですが、釈尊在世の時代には先祖供養という概念はありませんでした。インド的な輪廻転生の思想では、先祖(に代表される人々)の霊魂は一定の期間を過ぎると新しい肉体を得て生まれ変わってくるので、遺された人々ができることは故人がより良いカーストに生まれ変わることを祈ることだけでした。

仏教が「先祖供養」を重視するようになったのは、中国文明における「孝」を取り込まざるをえなかったからです。いうまでもなく、祖霊崇拝は人類普遍の信仰感情といってよいですから、どういった宗教でも祖霊崇拝の要素を取り入れざるをえないでしょう。

にもかかわらず仏教的に「先祖供養」というものに正当性を与えるとするならば、やはり仏教の基本的教理である「縁起説」に基づかねばなりません。
「縁起説」とは「すべての物/事は、因と縁という相互の関係性のなかで成立しており、独立・固定した実態をもちえない」という思想です。当然、生物としてのヒトの因(直接的原因)は生物学的な親子関係にほかなりませんし、存在としての人の縁(間接的原因)は血縁・地縁という人間関係全体にほかなりません。

つまり、「先祖」とは自分自身に関わるすべての人間関係のうち、具体的にイメージできる血縁者のことです。したがって、「先祖供養」とは故人となった具体的な血縁者に代表される自分自身につながる人々の縁を考えるということになります。



位牌とは亡くなった故人の人格の象徴物です。そこに記される戒名とは、本来は死者のための名前ですが、私は墓碑銘の代替物であると考え、壇家さんにもそのようにおつけしたい、とお話ししております。

「成仏」とは「仏に成ること」です。具体的には、釈尊と同等の「覚り/悟り」を得ることですが、昨今の言葉ならば「自己実現を達成する」としてもよいでしょう。仏教のうち、密教思想では精神的・肉体的な限界から自由になり宇宙そのものである大日如来と一体化することを言います。似て非なる言葉に「往生」というものがあります。


Name: 燈明
Date: 2011/03/02(水) 19:00   No:4178
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Title: Re:先祖の供養    
天台沙門さん、お詳しい解説ありがとうございます。すると、先祖供養とは今を与えてくれた先祖への孝の精神が形になったものであり、孝を尽くすのに特定の方法や形式といった型は必要ない、という解釈になりましょうか。私のできる範囲での供養しかできませんが、供養に型がないのなら安心なのですが…。

Name: 一九
Date: 2011/03/03(木) 06:00   No:4183
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Title: Re:先祖の供養    
キリスト教ではなくて某でしたか。
たとえお寺で供養しなくても、位牌や戒名がなくても、儀式や形式は故人への思いやりを形にした効果ですからね。
供養の主体はあくまで生きた家族であって、儀式や形式が何かをするわけでありません。
家族の誰かが故人に対する思いやりを持っていれば大丈夫ですよ。
ご先祖様にもその旨事情をよくお話されたらよいと思います。




Name:
Date: 2011/02/25(金) 14:59   No:4165
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Title: 仕事を辞める?続ける?迷っています    
訳あって、ふたつ仕事をしています。ふたつのうち、
午前(早朝)の仕事がイヤでイヤでたまりません。

理由はたくさんあります。
上司の言葉遣いが悪いこと。ちくしょう、うるせえ、など日常的に使います。
それから、女性のパートさんたちが卑屈なこと。上司の言葉遣いにも関係しますが、仕事で失敗があると、小さなことでも怒鳴られ、罵倒されるので、怖くて顔色ばかりうかがっています。自分が叱られないために、他の人のミスを、上司に逐一報告する人もいます。

そして、一番大きな問題はイジメです。私はまだ新人ですが、遅刻も欠勤もせず頑張って働いているつもりです。でも、それが気に食わないらしく、陰で悪口を言われています。いい子ぶりっこ、優等生のフリしている、裏表がありそう、と言われているのを偶然聞いてしまいました。気の合う同僚もいません。話しかけても無視されることの方が多いです。

上司は悪口を言っている女性たちに気づきません。絶大な信頼をおいて、彼女たちが私のことを悪く言うと鵜呑みにして、翌日しかられます。仕事上のことだけでなく、協調性がないとか、マイペースすぎるとか、暗いとか、性格、人間性まで否定されます。

私は遅刻しないように早めに出勤し、みんなが仕事にとりかかりやすいように準備し、おしゃべりせず、ひとり黙々と働いているだけで協調性がないと言われるのです。いまのところ、仕事で大きなミスはしていません。マニュアルどおりに、ただただ毎日働いているのですが、もうイヤになってしまいました。

朝、起きると吐き気がします。夜は腹が立って眠れないこともあります。上司の顔を思い出しただけで、鳥肌が立ちます。

先日、もう耐え切れなくて上司に辞めたいと申し出たところ、早朝の仕事は求人募集しても人が来ないのはわかっているだろう?辞めるなら2ヶ月以上先にしてくれ、会社の状態を考えない、不誠実なヤツだな、常識がないと言われました。

私は生活のため、会社のため、このまま働き続けるべきでしょうか?今日も体調が悪く、食事がのどを通りません。どうかアドバイスをお願いします。



Name: 一九
Date: 2011/02/26(土) 08:23   No:4166
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Title: Re:仕事を辞める?続ける?迷っています    
仕事を辞めるかどうかは高度に自分が判断することです。
神さえ口出ししませんのでね。
参考まで仏教的な見方では、自分の身の回りに無意味なことは起こりません。
すべては自分の学びのため周到に準備されたことです。
学びというのは受け容れる力(うつわ)を大きくすること。

そのような上司に苦しむのは、上司を否定するからで、否定はものごとを善悪でジャッジする思考習慣によるものです。
自分に都合の悪いものを「悪」とする思考習慣が上司を否定して、それが苦しみになっています。
ですから否定さえしなければ何も苦しくありません。
それが受け容れる力です。

その上司を避けても、自分が変わらなければ、また似たようなことで苦しむのではありませんか?
苦しみの原因は自分の外にあるのではなく、すべて自分の心の中にあるというのが仏教の教えです。


Name: 裟羅
Date: 2011/02/26(土) 21:38   No:4167
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Title: Re:仕事を辞める?続ける?迷っています    
私はこう考えています。
仕事は仕事、会社にお金で自分の能力を買ってもらっているのです。
だから相手に対する感情は捨てて自分の仕事だけをやる。
とは言うものの人間ですからそんなあっさりいきませんね。
では、給料に迷惑料が入っていると言うのはいかがでしょうか。
どちらにしてもこの就職難、次を見付けてから辞めた方が良いのと、何処へ行っても合わない人はいますよ。
今の世の中人に不快感を与えて憂さ晴らししてるのがいるのです。
仏教的に考える事はとても難しく、本当は人を許せる所まで行けばご自分も楽ですが、そこまで行くまでには自分自身との葛藤、やられ損となります。
本当は我が心傷めなくてもよくできたもので、因果応報がはたらきますからね。
いずれにしても何処かで割り切って下さいね。
割り切りが答えを生んでくれますよ。
頑張って。


Name: 猿田坊
Date: 2011/02/28(月) 11:24   No:4169
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Title: Re:仕事を辞める?続ける?迷っています    
こんにちは。スケープゴートにされてるんでしょうね。仮に貴方が辞めたとしても、誰かが同じ目に合うのだと推測します。

仕事、辞めたとして他のアルバイトなりで補って生活できそうなら、無理して続ける必要ないと思いますが……。ストレスにより身体を壊してしまうと、更にストレスがかかりますよ。
辞めても大丈夫だと思えるなら、「あと二週間、体調が悪いならそこで辞める」等と期限を決めるのもアリだと思います。私の場合、この方法で心がふっ切れたせいか、身体はよくなりました。

まあ、どこにいっても悪く言う人はいますし、程度が違うくらいだと思います。
そういうことに慣れ、うまく心の中で折り合いをつけていくことは、社会で働くには必要だと思いますが、今の環境が余りにも"負荷が高いレベル"なんじゃないでしょうか。きついなら無理しない方がいいと思います。
「魂の学び」が必要なら、どこにいったって何したって学ぶはずですから、気にしないでいいのではないかと。

なお、スケープゴートになってるのだったら、何をしても無視されるとかけなされるのがオチです。一切、相手にしない(意に介さない)のがベストです。自分が傷つくだけなので。
新しい人が入ってくるなりして、新しい「ネタ」ができれば、スケープゴートじゃなくなる可能性はありますが、『皆で仲良く働く環境』を望むのであれば、今の職場は難しいんじゃないかと思いますね。

参考までにですが、仏教的には『諸法無我(しょほうむが)』という真理があります。
ざっくりいうと、「私」という固定した実体はないということです。

例えば、人の評価ってバラバラですし、自分が思うように自分をかえることできないですよね。
じゃあ、本当の「私」は?となるわけですが、そんなものはないよ、幻想だよ、というわけです。
「私」と思ってるものは、様々な要素(環境、状況、人、物質など)により成り立っているため、常に変わりつづけているんです。

前置きが長くなりましたが、今の貴方の頭の中にある「貴方」の像は、現実には存在しないものだと言えるのです。「私」がそもそもない・固定していない存在ですから。
同様に、他人についても同じことが言えるのです。いつも同じ「あの人」というのは成り立たないのです。

となると、同じ人に会っても、毎日が白紙の出会い・一期一会となるわけです。あの人は嫌な人、あの人はいい人といった、固定した「あの人」は存在しないのです。

長文失礼しました。




Name: 春日
Date: 2011/02/22(火) 01:22   No:4162
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Title: お世話になった方へ    
私はある団体に所属しているのですが、先日その団体の大先輩が亡くなられた際に、我が団体に多額の寄付をいただきました。そこでこちらもお葬式と一周忌の際にはお花とお手紙を送らせていただきました。
しかしながら三周忌におきまして、こちらの不手際により特にご挨拶することなく過ごしてしまい、すでに半月以上たってしまいました。
今から何かしらの挨拶をするならば、どのようにするのがよいでしょうか。今からでは逆に失礼にあたってしまうのでしょうか。
素人にはどうにも判断がつきかねましたので、お知恵を拝借できればと相談いたしました。
よろしければご意見お聞かせください。



Name: 沙羅
Date: 2011/02/22(火) 13:40   No:4163
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Title: Re:お世話になった方へ    
もうすぐお彼岸がまいります。
その時に、進物線香とお手紙をお送りすれば良いのではないですか?
お手紙には3回忌に念が行き届かなかった事をお詫びされてもよいですし、貴方の想いは通じると思いますよ。
特に失礼になるような事はないと思います。



Name: 勝運寺山主
Date: 2011/02/22(火) 21:08   No:4164
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Title: Re:お世話になった方へ    
沙羅様がお書きになっているように彼岸の時に過日の非礼を謝し
た手紙を添えて負担に思わない程度の御供え物を送られるかもしくは持参されると良いでしょう。




Name: 霊?
Date: 2011/02/18(金) 03:04   No:4157
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Title: 無題    
彼女の身に変な事が起きています。
元々彼女は霊的なものが感じられるのですが
ここ一週間くらいから自分の部屋で寝るとだれもいないのに足音がし、寝てるときに体を揺さぶられ起こされ寝れないとのことです。また、ラップ音もすごいそうです。
自分の部屋以外で寝るとなんともないのですが自分の部屋だとそういった現象が起き悩んでいるそうです。

何故いきなりこんな現象が起きるようになったのでしょうか?
どうすればこの現象をなくすことができるでしょうか?
どなたかお教えください。



Name: 一九
Date: 2011/02/21(月) 05:36   No:4159
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Title: Re:無題    
部屋の浄化であればホワイトセージを焚くのが簡単です。
ほかにはお鈴(おりん)などの鳴り物、キャンドルなどの炎も有効です。
仏具の3点セットですよ。
それから部屋はよく整理整頓しておかれたらよいと思います。




Name:
Date: 2011/01/28(金) 13:11   No:4096
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Title: 水子供養について    
初歩的なことですみません。

いろいろな理由から、1月13日に赤ちゃんとさよならしました。

実家にはお墓がないので、お寺にお願い(納骨?)することにして、20日、27日とお寺に行き、線香とお塔婆をあげてきました。

仏壇があれば毎日、線香をあげたりしますよね?でも、お寺まで遠いので、毎日は行けないです。

また、近々引っ越しをしなければならないため、お寺に行くことさえできなくなってしまいます。

このような場合、どうしたら良いのでしょうか?

正しい供養の仕方を教えてください。



Name: 光明
Date: 2011/01/28(金) 15:26   No:4097
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Title: Re:水子供養について    
供養は心がけというか思いが大切ですから、お寺などに行けない場合は、自作でも良いのでホームセンターなどで(位牌のイメージ)手頃な大きさの木片を買い、自分でつけた水子さんの名前を墨汁などで書いて、日々般若心経などを手向けられればよろしいでしょう。
その時の気持ちとしては、いたずらに自分を責めることなく、縁のあった魂をこの世でお育てすることはできなかったが、お釈迦さまにお預けさせていただきます、この世の我らとともに修行して行きましょう、というようなお気持ちがよろしいかと思います。

位牌でなくとも、手を合わせる対象としては他に、地蔵尊や観音菩薩の絵や写真でも良いし自分で作ったお守りでも良いのです。
供養というものは必ずしも「僧侶に頼まなければならない」ものではなく、自分の真摯な気持ちが一番重要です。
もちろん機会が有れば寺院に御参りされることも良いでしょう。



Name:
Date: 2011/01/28(金) 20:53   No:4098
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Title: Re:水子供養について    
ありがとうございます。

今は起きたら一番に空に向かって手をあわせ、一週間に一度お寺へ行くことしかできていません。

私は、一人の命を奪っておいて、生きていて良いのでしょうか?


Name:
Date: 2011/01/29(土) 11:15   No:4103
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Title: Re:水子供養について    
色々な思いがおありでしょうね。
でも子供(お腹中に宿った時から)は色々な事を教えてくれるのです。
産んであげられなくても、ちゃんと供養と言う形で子育て、そしてあなたも親として成長してゆくのですから…。
生きて、産んであげられなかった事を懺悔しながら命を大切にして下さいね。
決してあなただけのせいではないし、ご自身をせめても子供さんは喜びませんよ。
あなたが手をあわされ、幸せに暮らされる事こそ…本当の供養になると思いますから。


Name: 尊明 [URL]
Date: 2011/01/30(日) 06:03   No:4104
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Title: Re:水子供養について    
心よりご冥福をお祈り申し上げます。

さて、宗派や寺院によって供養の方法が違います。
まずは、そのお寺の方に相談されることをおすすめします。

戒名が授かっているのであれば、位牌を作られ、
ご自宅に安置されればいいでしょう。

仏壇は高価なものでもありますので、何かの箱を代用されても
かまいません。

その中に、仏様(お地蔵様)を安置されるのがいいでしょう。

よろしければ、お地蔵様は無料で差し上げております。
http://www.otera.net/1000/


Name:
Date: 2011/01/31(月) 18:14   No:4105
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Title: Re:水子供養について    
ありがとうございます。

1人の命を奪っておいて、私だけが前向きに生きていくことが申し訳なく思ってしまうのです。自分だけ幸せになるなんて、許されないと思ってしまうのです。

供養の件は、まずお寺に相談してみます。ありがとうございます。


Name: 光明
Date: 2011/01/31(月) 21:56   No:4106
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Title: Re:水子供養について    
立場を変えて考えてみてください。

あなたは故あってこの世に生を受けることができなかった。
あなたの母は日々「申し訳ないことをした、あなたを不幸な目にあわせた私が、幸せになったり前向きに生きて行くことができるわけがない、ほんとうにごめんなさい」
毎日こう言って暮らす母を見てあなたはどう思われますか?

「気持はよくわかりました、毎日そんなことばかり聞いてるとと私も悲しくなります、どうか前向きに生きてください」
きっとそう思うのではないでしょうか。

山川草木悉有仏性
一本の草にも仏性が宿っているのです。
水子さんの仏性が結さんの幸せを願わないわけが有りません。

最初に申し上げたように、いたずらに自分を責めることなく、縁のあった魂をこの世でお育てすることはできなかったが、お釈迦さまにお預けし、結さんが一生懸命に生き幸せになることが供養になると信じて、まずはお名前を付けてあげてください。


Name:
Date: 2011/02/01(火) 19:01   No:4108
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Title: Re:水子供養について    
名前をつけて呼んでもいいのでしょうか?私は生きていても、楽しい思いをしてもいいのでしょうか?

なんだか、少し前向きになれる気がします。ありがとうございます。


Name: 光明
Date: 2011/02/01(火) 22:08   No:4109
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Title: Re:水子供養について    
ぜひ名前を付けて月に一度でも語りかけてあげて下さい。

一昨年、私の姪も4人目の子供を産めませんでした。
彼女は女の子と信じて名前を付けていたので、私はそのまま戒名は付けずに、水子さんを供養をさせていただきました。

姪は小学6年の長男を筆頭に次男・長女に「○○ちゃんは産まれてこれなかったけれど、今日のご供養で小さなお坊さまになって、お釈迦様のもとで皆と同じように勉強したり遊んだりするのよ」と話しました。
それからは命日(と決めた日)に全員で般若心経をあげて、子供たちは僕は・私は・これこれで頑張ったよと、○○ちゃんに報告をするそうです。

最初は姪も複雑な心境だったようですが、子供たち以上に自分も頑張って生き、明るく楽しく笑顔で過ごすことが、この世あの世を問わず子供たちにとって一番の幸せだと解ったそうです。

どうか結さんも笑顔で日々をお過ごしください。


Name: 勝運寺山主
Date: 2011/02/02(水) 14:49   No:4110
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Title: Re:水子供養について    
結さんへ
「水子の供養について」
水子の供養を致します前にご理解いただきたい事柄がございます。
まずは「水子の側に立って、水子の気持ちを考えて下さい。仏教的には、この世界に生を受ける事は、仏様より娑婆の世界にて修行をしてきなさいと、仏様から遣わされるということです。しかし、(産む、産まないの選択は親の勝手)とよくいいますが、実は水子の側からすると、自分が産まれることにより悲劇が生まれると感じた時には、母親に対して胎児は自分を早く仏の世界へ返す事を願うのです。是により水子霊が生じてきます。
ほんの少しの間でも自分が母と思い、父と思った、縁者に不利益が起こりうるならば自分の命を代償に父母に幸せになってもらう為に生ずる現象、[生んであげられなかった]、と言う結果を水子と言います。[生んであげられなかった]と言う行為は個々の我欲が強い為生ずるとも言われておりますが、それをもすべて理解し仏の世界へ帰って行った胎児の心を理解してください。娑婆界に呼んでいただいた父母の恩に報いる為、父母に幸せが訪れるように願い仏の世界へと帰っていくのです。どうか忘れないでくださいこの子達のことを。あなたの幸せを思い仏の世界へ帰って行った子供達いる事を。」



Name:
Date: 2011/02/02(水) 21:16   No:4111
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Title: Re:水子供養について    
ありがとうございます。

私は頑張らないといけないですよね。

自ら天へ(?)帰る意思を持つ水子のことも初めて知りました。

この子が私のところへ来てくれた意味を探しながら、生きていかないといけないですね。

この子の父親にあたる人へは供養をすすめた方が良いのでしょうか?供養は本人の気持ちが一番大切だと思うのですが、この子のことを忘れないでほしいという気持ちもあり、どうしたら一番良いのか迷っています。


Name: 勝運寺山主
Date: 2011/02/08(火) 08:44   No:4131
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Title: Re:水子供養について    
結様へ
本人が供養をしたいと思うまで水子さんは待ってくれます。
心配しないでください。


Name:
Date: 2011/02/09(水) 00:41   No:4139
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Title: Re:水子供養について    
わかりました。ありがとうございます。

Name:
Date: 2011/02/10(木) 23:14   No:4148
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Title: 般若心経について    
般若心経を手向ける・あげる等のアドバイスをいただき、取り組んでみようと思ったのですが、入り口がわかりません。

図書館や書店で書籍を探したのですが、たくさん出版されているのですね。

どのようなものを選べばいいのか、アドバイスいただけませんか?


Name: 菊雅
Date: 2011/02/13(日) 09:39   No:4151
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Title: Re:般若心経について    
供養で般若心経をあげるのなら、仏具屋さんで般若心経だけの経本は売っています。
読み方が判らないのなら、ネットのヤフーや楽天でCDが付いているのもあります。


Name: B空
Date: 2011/02/16(水) 07:47   No:4153
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Title: Re:般若心経について    
結様

菊雅さんのご返事から数日経っておりますが、
御用は済んでおられますでしょうか?
ご供養に際して、読み方などが分からないということでしたら、
CDもありますし、ふりがな付きの経典も、
仏具やさんや書店においていますのでご随意に選ばれて良いと思います。


>図書館や書店で書籍を探したのですが、たくさん出版されているのですね。どのようなものを選べばいいのか、アドバイスいただけませんか?

ご質問の意図が意味を知りたいということでしたら、
基本的にどれでも構わないと思います。
たくさん解説書がありますが、
書いた人によって、おおよそ次のような傾向の違いがあります。
実際には綺麗に分類できるものではありません。
私は以前は書籍流通業の末端に身を置いてましたので、
お客様には次のように説明していました。

学者が書いた本・・厳密に、経典に書かれた文字を解釈することや、
哲学的意味、歴史的展開を解明していくことに力点がある。
専門的なものが多い。
平易なものがないかといえば、そんなこともありませんが、
全くの門外漢がサッと読んでサッと分かるものは少ないと思います。

僧侶が書いた本・・厳密に解釈することだけではなく、
多少厳密性を犠牲にしてでも分かりやすく書こうという意識で書かれている本が多い。
宗派の教えに沿った解釈になっていることもあるので、内容は書いた人によってかなり違う事もあります。

文化人が書いた本・・これもかなり幅があります。
仏教のお経という枠内でお経を読むのではなくて、
自由に解釈する傾向があるように思いますが、
好き勝手に解釈したものばかりでもありません。
一般に「超訳」とか「自由訳」と銘打ったものは、
経典に書かれた文字にとらわれないで、わかりやすさや日常性、
あるいはその文化人の考える空の教えを思索して、
それを経典の解釈という形で表現したものです。

スピリチュアリストが書いたもの・・
般若心経の説明というよりは、
そのスピリチュアリストの神秘体験を、
お経の説明を通して行っている人が多いと思います。
お経の内容そのものの説明としては、
認めがたいものも正直なところありますが
面白い本もあります。

こんな感じになっていますが、
実際には僧侶であり学者であるという人もいたり、
著述目的で内容が変わってきますので、
厳密に分類できるものでもありません。
どれが良い、間違っているというよりは、
お客様の目的で選ぶ本に多少の選択幅があるということです。
著者が誰だろうと関係ないという人もおりますが
常識的には、著者がどういう人かというのは
選ぶときの選択基準の一つには成りえます。

今、結様は、厳密な解釈を欲しておられるわけではないと
思いますので、一冊の本を紹介させていただきます。

画像の本、
『般若心経絵本』諸橋 精光 小学館

などではどうかと思いました。
諸橋 精光(もろはしせいこう)さんは、絵本・紙芝居作家であり
真言宗僧侶です。
『モチモチの木』(紙芝居)は、諸橋氏の代表作です。
『モチモチの木』はご存じなのではないでしょうか。
同氏は、仏教の教えを絵本にする活動もしていらっしゃるのです。

絵本とありますが、「子供だまし」という意味ではありません。
絵を使って、般若心経を説いた物語です。
小学生くらいならお子様でもなんとなく分かるような
そんな物語です。
真言宗の僧侶としての信仰から描かれた物語ですが、
特定宗派にしか通じないような狭い内容ではありません。
般若心経で説かれる内容や宗教的世界観を、
おおらかに描かれています。
かなり売れた本ですので、
図書館や大きめの本屋さんにいけば置いてあります。

この本では、般若心経は、こんな感じに説明されてます。
「仏様というのは、大いなる命であり、
私たちはその一部なんだ。
普段、私たちは、あれが良いこれが悪いとか言ってるが
仏様の境地であり、仏そのものと言っても良いハンニャハラミツの世界では、誰も彼もみんながつながっている。
気がつかないだけなんだ。
身も心も、仏様の海に投げ出すと
やがて心が静まって本来のハンニャハラミツの世界に気がつく。
仏様は、我々のお母さんだから、
赤ちゃんがお母さんに助けを求めるように、ただ求めればいい。
そうすれば、間違いなくハンニャハラミツの世界が立ち現れる」

優しい物語です。
ゆっくり味わうようにして読まれると
暖かい気持ちになるのではないかと思います。
お子様に語り聞かせてあげられるような、
そんなお経の物語になっています。
観音経でも阿弥陀経でも
どのお経を読むに際しても通用する内容になっています。
内容的にもちゃんとしています。
もともと「正解」の解釈が一通りしかないというものではありません。

その後、ご供養用の経本やcdなどを使用して、
ご供養なさっても良いと思います。
もう少し専門的な観点も入れたものが見たいのでしたら、
松原泰道(臨済宗僧侶、故人)さんの
『般若心経入門』などではどうでしょうか。
説法のとても上手な方です。

ご冥福をお祈りいたします。


Name:
Date: 2011/02/17(木) 23:49   No:4156
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Title: Re:般若心経について    
アドバイスありがとうございました。

いろいろありすぎて悩んでいましたので、助かりました。

インターネットや書店で探してみたいと思います。




Name: エリ
Date: 2011/02/15(火) 22:32   No:4152
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Title: お祓い、厄除けについて    
年末から不幸が続きます。私は今年厄年です。お祓いか厄除けに行きたいのですが、お寺でも神社でもやっている所がありどちらへ行けばいいのか分かりません。仏教でも神教でもありませんし。お祓いと厄除けの違いもイマイチわかりません。助言お願いします。


Name: 天台沙門
Date: 2011/02/16(水) 09:31   No:4154
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Title: Re:お祓い、厄除けについて    
神仏と人とのことも「縁」です。
とはいうものの、いくつかの選択基準を。

まずは、お住まいに近い社寺がお勧めです。
理由としては、日常的に参拝ができるということにつきますが、古来より守り神とされてきた氏神・産土神・鎮守といった神様は、その人が生まれ育った場所の神様だったからです。

もちろん多少は遠くても著名な社寺でも良いでしょう。
この場合、いくつかの社寺をまわってみることをお勧めします。そこに行くまでの道筋や、境内の雰囲気がご自分にあう(落ち着ける・安心できる)かどうかが大切な要素だからです。静謐な雰囲気がお好みならば寺院よりは神社かもしれません。気分を高揚させたいのでしたら寺院の護摩供養に参列なさるほうがいいかもしれません。

神社と寺院との機能分化は、明治政府の宗教政策によるものです。いま現在の我々の意識が神と仏とを明確に区別していないように、飛鳥時代から明治が始まるまで神と仏とは区別されていませんでした。
下世話な表現ですが、現実生活に対する利益や功徳があってこそ、神仏は信じられてきたのです。ですから、神様でも仏様でもご自身の気分に適うほうをお選びになれば、それがよろしいと考えます。

「お祓い」と「厄除け」の違いですが、お祓いは身についてしまった災厄を祓い清めることで、厄除けは災厄が身につかないようにすることです。つまり、お祓いは病気の治療で、厄除けは予防接種にあたると、そうお考えください。


Name: エリ
Date: 2011/02/16(水) 20:44   No:4155
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Title: Re:お祓い、厄除けについて    
分かりやすい説明ありがとうございます。
近くに真言宗のお寺と犬が瀕死の際に行きお参り、お札を買った浅間神社のどちらかにしようと思います。お祓いにするか厄除けにするかはまだ迷っています。ちなみに犬は一命をとりとめました。




Name: タイム
Date: 2011/02/08(火) 12:20   No:4135
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Title: 顕在意識と潜在意識    
仏教の言葉には、アラヤシキ等の潜在意識の分野が登場します。ここで今ひとつ理解できないのですが、一つの「識」に、認識可能な識である顕在意識と、表裏の形で認識できない潜在意識とのニ層が同時に含有されていることなど、実際あり得るのでしょうか?認識できる識の状態であれば「識」はすべてが顕在意識、認識していない状態での「識」であればすべてが潜在意識、と時系列的に「識」が顕在と潜在の相互の裏返しを繰り返すというなら理解できます。しかし一時点において、一つの「識」に認識できる部分と認識できない部分があるというのなら、「識」は部分を分かち二つある(含有する)ことになり、その時点で一元的な解釈が成立しないような気がします。



Name: 一九
Date: 2011/02/11(金) 04:57   No:4149
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Title: Re:顕在意識と潜在意識    
それは考えてわかることじゃなくて、感じてわかることですよ。
私は唯識学はよくわかりませんのでとりあえずのお返事ですが、阿頼耶識は蓄積された感情のことだと思います。
怒ったり悲しんだりする気持ち(感情)ですね。
それはカルマの媒体、自分という個を生ずる源泉です。

言葉は地上の現象を表現することはできますが、阿頼耶識はそれを超えたものですから、言葉の理屈で云々できることではありません。


Name: 天台沙門
Date: 2011/02/12(土) 10:42   No:4150
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Title: Re:顕在意識と潜在意識    
ご質問における

>一つの「識」に、認識可能な識である顕在意識と、表裏の形で認識できない潜在意識とのニ層が同時に含有されていることなど、実際あり得るのでしょうか?

については、

認識行為には、「認識すること」という随意的な「表」のありかたと「そう認識してしまうこと」および「そう認識したくないこと」という不随意的な「裏」のありかたが、相互補完的に機能していると解釈しておいたほうが現実的です。

とお答えできます。また

>一時点において、一つの「識」に認識できる部分と認識できない部分があるというのなら、「識」は部分を分かち二つある(含有する)ことになり、その時点で一元的な解釈が成立しないような気がします。

については、

単に認識能力または認識機能が認識対象とミスマッチをおこしているならば、認識対象たる「識」に認識可能部と不可能部が発生することは自然にありえます。実例として、外国語の歌劇を聴取した場合に旋律やハーモニーは認識できても歌詞内容は認識できないわけですが、しかし劇全体は当方が外国語歌詞を解釈できなくても一体のものとして存在しますし、歌詞を理解せずとも当方が劇全体に感動することも可能でしょう。

とお答えしておきます。



そもそも「潜在意識(または無意識)」という術語は、西洋の精神医学や心理学において「自覚されていること/もの」を「意識(すなわち顕在意識)」と定義し、これに含まれない部分を「潜在意識(または無意識)」として再定義したものと考えられます。フロイトやユングの解説書には、海に浮かぶ氷山の絵を用いて、海面の上にある部分を「意識(イドまたはエゴ)」・海面の下にある部分を「無意識(エスまたはセルフ)」などと説明しています。ですから、「潜在意識」という術語そのものが「顕在意識」との同時性を前提にしているのです。

仏教の教理的をみると「識」という言葉が二義性をもちます。
第一義は「認識機能」です。
『般若心経』を引用しましょう。
「照見五薀皆空、度一切苦厄。舎利子。色即是空、空即是色、受想行識、亦復如是。」
ここに記された「色受想行識」が「五薀」です。五薀とは認識行動における情報処理の過程と考えてよいでしょう。「色」は外的環境です。「受」は情報の入力です。「想」は入力と記憶との突き合わせです。「行」は突き合わせの結果の判断です。そして「識」が認識機能です。
第二義は「認識されたもの/こと」です。
『般若心経』の引用を続けます。
「是故空中、無色無受想行識(五薀)、無眼耳鼻舌身意(六根)、無色声香味触法(六境)、無眼界乃至無意識界(六識)」
この引用文末尾の六識が「認識された認識対象」としての「識」です。
このあたり、きちんと用語と用法の対応を明確にすることが必要です。

ところで、ご質問の冒頭にあるアラヤシキ(阿頼耶識)についてです。
唯識学では「認識」の実際は「アーラヤ識に映っている、いわば虚像の認識」にすぎず、我々はその虚像を実存と誤解しているだけで、外界の「色」は存在しないという理解に立ちます。
このアーラヤ識は、「認識されたもの/こと」の集合体でありつつ、かつ認識機能の本体でもありますが、しかし人が自覚的に働かせることはできない潜在的機能です。このアーラヤ識の上位(下位?)に、認識主体の意志とは関わらず自我の実在を認識し続ける認識機能としてのマナ識(未那識)が存在します。
第6識までの識は自覚的に働く認識機能なので「顕在意識」に属します。第7識であるマナ識と第8識であるアーラヤ識は自覚的には働かないとされていますから「潜在意識」に属します。冒頭で「認識してしまう」・「不随意的」という表現を用いたのは、自律的な認識機能を発揮してしまっているという、この理解に基づきます。
やはり、仏教思想においても意識と無意識は並列的または重層的に機能していると考えられているわけです。




Name: 明宏
Date: 2011/02/08(火) 12:31   No:4137
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Title: お唱え    
仏壇にて朝晩、供養する際に私は光明真言、お題目の後に

○◎家先祖代々霊位
水子の霊位
一切有縁無縁の霊位
母方の祖父の戒名
を唱えてますがどうでしょうか?
他に南無ほうかいばんれいなど言ったほうがいいですか?



Name: 天台沙門
Date: 2011/02/10(木) 15:14   No:4145
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Title: Re:お唱え    
今お唱えいただいている尊号以外でしたら、当然ながら、ご本尊の宝号をお唱えいただければ必要にして充分だと考えます。

「南無ほうかいばんれい」の件ですが、漢字にすれば「法界万霊」で、つまりは三界万霊のことなので「一切有縁無縁諸精霊」として唱えていただいております。


以上、ご参考までに。


Name: 明宏
Date: 2011/02/10(木) 20:49   No:4147
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Title: Re:お唱え    
ありがとうございました。
参考にします。





 
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