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Name: 菊
Date: 2010/11/01(月) 23:06
No:3928
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Title: よい方法ありますか?
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母方の祖父母が眠るお墓があります。生前たいへんお世話になり、深い恩愛があることから、仏事の供養を欠かしたことはありません。そのお墓に、生前祖父母を少しも優しくしなかった伯父夫婦が、死んだ後で入る話しが持ち上がっています。伯父(長男)夫婦は、祖父母を無理やり施設に追いやり、年金を勝手に遣い、祖父母の家を売り払って兄弟に財産の分配もせず、自分達のマンションを買いました。祖父母の通夜に親戚が交代で番につく中、この夫婦は他人事のように帰宅、遺体を告別式まで伯父夫婦のマンションに安置していたときも、ご飯もお茶も供えずほったらかしにし、親戚が忙しく動き回っていることを尻目に一日家にいるくせに食事も出さず、それぞれ自費でコンビニ弁当を買いました。告別式が終わった日には、皆で思い出を語るどころか、さっさと自分達だけ旅行に出かけました。一周忌も面倒だからと親戚が集まるのを拒み、線香を上げに行こうとすると露骨に迷惑な顔をします。伯父夫婦のせいで、何人もの親戚がバラバラになりました。今後、この伯父夫婦が祖父母のお墓に入ったなら、鬼と言われようが、伯父夫婦にだけは線香の欠片・花の一本も捧げたくありません。分骨等いろいろな方法はあると思いますが、祖父母のお墓は祖父母にだけ供養を送るにはどうすれば良いのでしょうか?
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Name: 天台沙門
Date: 2010/11/05(金) 10:24
No:3938
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Title: Re:よい方法ありますか?
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申し訳ありませんが、仏教的な観点では「○○を除外する」ということを正当化できません。
率直に申し上げますと、「祖父母にだけ供養を送る」ことでは「伯父ご夫妻を供養しない」ということが対になってしまいす。後者は四苦八苦のうちの「怨憎会苦」というやつですね。これでは本来は善事であるはずの供養が苦の因になってしまい、供養が供養になりません。
したがって現実的には、将来的には「嫌いな人の墓参をしたくない」のだから墓参を諦められ、御祖父母様のお位牌をお持ちになり、ご自宅のみでお祀りなさるという解決策が一点。もしくは、あくまでも墓参時には御祖父母様しかいらっしゃらないというご気分を保って伯父ご夫妻のことは努めて考えないようにすることが一点。 それくらいでしょうか。
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Name: 菊
Date: 2010/11/05(金) 19:52
No:3939
| 解決
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Title: Re:よい方法ありますか?
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天台沙門様ありがとうございます!まさに「祖父母だけを供養する」の対には「伯父夫婦だけは供養したくない」という考えが厳然とあります。仏教では許し、慈悲が大切なことは重々承知しております。が、祖父母も生前、長男(伯父)夫婦を良くは思っておりませんでした。私も伯父夫婦のことは親戚とも思っておりません。今後伯父夫婦がお墓に入ったなら、天台沙門様のおっしゃる方法の一つ「祖父母しか眠っていない」と思って、花から供え物から線香の台からすべてに祖父母宛の名前を書こうと思います。それと、現在位牌は伯父夫婦宅にあるのですが、白木のまま放置されているので、新たに位牌を作って家に安置しようと思います。アドバイスありがとうございます。
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Name: 美よ庵
Date: 2010/10/17(日) 23:15
No:3909
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Title: 無題
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はじめまして。 位牌のことでご相談します。 一人っ子同士の結婚です。先日、私の両親が他界しました。 もちろん位牌を作り 家に祀ってあるのですが、夫から「君は嫁いできたのだから 位牌はお寺に預けなければならないよ。この家にはおけないよ。それが常識!」と言われショックでした。 この少子化の時代 それぞれが自分の親の面倒も墓を位牌もみる。それでいいのだと思います。 ひとつの家に夫の両親の位牌、私の両親の位牌、二つを祀ったら 仏様のバチでも当たるというのでしょうか。
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Name: 空
Date: 2010/10/18(月) 19:26
No:3915
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Title: Re:無題
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当方真言宗の僧侶です。
少子化の時代でそれぞれが自分の親の面倒も墓を位牌もみる。 というのは、最近の常識になってます。 最終的には統一する事もあります。
ひとつの家に夫の両親の位牌、私の両親の位牌、二つを祀る というケースはよくあります。 最終的には統一されますが。
可笑しな事ではりません。
檀家寺の御坊さんに相談されてはいかがでしょうか?
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Name: 天台沙門
Date: 2010/10/21(木) 11:39
No:3924
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Title: Re:無題
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まずは、ご両親の件、お悔やみ申し上げます。
端的に結論のみ申し上げれば、お位牌というものは婚家・実家の区別なく祀られてしかるべきものです。 その理由は、先祖霊すなわち子孫の守護神としての性格を得た死者の象徴が位牌であり、人に加護や利益をもたらすという点で、位牌を祀ることは神仏の像を祀ることと同じ意味をもつからです。日本のような多神教やアニミズムの信仰を基本とする文化では、多種多様な神仏を祀ることが自然ですから、先祖霊に対して婚家・実家という区別をするほうが不自然であると考えられます。
さて、そのご葬儀の際、当然ながらどなたかが喪主を務められたはずですが、慣習法として位牌や墓所をはじめとする祖先の祭祀は喪主が継ぐということになっています。位牌を持つということは、先祖の祭祀権を持つということなのです。したがって、貴方が喪主を務められたのであればご両親のお位牌を持つことは自然ですし、名目上であっても連れ合いさんが喪主であったなら、同様の観点から位牌を持つ必要があります。 (註:祭祀権を持つということは相続権を持つということでもある。史的実例として、羽柴秀吉が織田信長の葬儀を行ったことを挙げておく。)
そもそも婚家と実家の区別に関する慣習は、多くの場合、明治憲法下での民法に規定された戸主制度に基づくことが多く、明治以前の日本の文化が反映しているとは言いがたいものです。したがいまして、「実家の位牌を婚家に持ち込まない」という点が「常識」であるかについては、宗教的理由および文化史的理由から私は懐疑的かつ批判的です。
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Name: のぶやま [URL]
Date: 2010/11/04(木) 12:45
No:3935
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Title: Re:無題
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寺の住職です。大切なご両親なのに、旦那様の言葉はあなたにとってショックだったと思います。しかし、想像するに、ご両親はこの世で面倒をかけてきたのに、あの世に往ってまでも面倒をかけているなんて…と悲しんではおられないでしょうか。墓や位牌といったものにとらわれ、面倒をみなくてはいけないという縛られた姿に問題があると感じました。 それは時代時代で都合良く過ごしてきた宗教界の責任です。仏壇やお墓をまもり先祖を大切にすることが仏教であるといった安易な宗教観を植え付けてしまった責任があると思います。固定化された家の宗教にこだわりすぎて、本来の私自身の宗教になっていないことに問題があります。 色々言っても仕方ありませんが、お世話になっているお寺さんに直接相談されることをおすすめします。
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Name: まふもふ
Date: 2010/07/12(月) 19:18
No:3663
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Title: 母のことで、相談。
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この場をかりて申し訳ありません。
私の母が他界して9月で5年になります、 遺骨もあり、位牌もあります(亡くなったときに福祉にお世話になり「霊位」と位がなっています。
兄姉がいますが、まともに生活しているのは私の家で位牌、亡骸を預かっている次第です。
遺骨を埋めるでもすごくお寺さんでお金がかかるといいました。 私達夫婦は諸事情でお金もなく、ローンも組めません。 このままでは、母が、かわいそうでなりません。 どうしたら、いいかご伝授お願いいたします。
49日法要は私が、キリスト教(カトリック信者)の為ミサ(法要を)して頂きました。 主人の両親はすでに、他界して真言宗豊山派の檀家として墓を作り、埋葬されています。主人の兄弟もいますが、(両親の墓や、法要などはそちらでみてもらっています。絶縁状態です、)
まとまりのない文章で申し訳ありませんが、よろしくおねがいいたします。
追伸、私事ですみません、私も病気もちでいつ入院してもおかいすないじょうたいです。(子宮ガンに近い病気です)母のことが、気が気でなりません。
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Name: まふもふ
Date: 2010/07/13(火) 19:59
No:3665
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Title: Re:母のことで、相談。
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水波坊様> レスが遅くなり申し訳ありません、 永代供養は、やはり一括で(しかもローン会社組まないと)駄目ですよね。私達のような特殊な(いえない事情ですが分割も組めないと)、
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Name: 水波坊 [URL]
Date: 2010/07/13(火) 20:50
No:3666
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Title: Re:母のことで、相談。
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さて、そもそもローンを組んでまでやんなきゃいけないなんて、そんなのは布施でも何でもない、単なる料金でしかないような気もしますが…私なら信心があるなら、諸般の事情を鑑みてどうとでも対応しますけれども…布施ほとんどナシも同然で葬儀をしたことも何度かありますし。 とは言え、まふもふさんはカトリックだそうですから、そうなると信心だの布施だのということでもないでしょうから、あくまで納骨の料金、ということで行くしかないのでしょうが…。 さて。 細かい事情はわかりませんが、私が上で紹介した寺であれば、数万円くらいで納骨可能だと思いますよ。ローン云々は必要ないかと。 他にも探せば色々な永代供養の形はあると思います。 私がネットで見た限りでも、四天王寺・一心寺より志納金が安い場所はみつかりませんでしたが、それでも20万円以下の永代供養をしている寺は全国でいくつか見つかりますよ。
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Name: まふもふ
Date: 2010/07/13(火) 22:09
No:3667
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Title: Re:母のことで、相談。
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水波坊様>レスありがとうございます。 何せ、仏教にはあまり程遠い自分でしたので、 故人も、静かな場所で落ち着かせたいなと思っております。 故人いわく亡くなる寸前にできれば(私自身も横浜に在住でして、)その近くで寝たいだのとわがままを言って去ってしまったわけですから、安住の地はどうしようか?月日もたっていますので、何とかしてやりたい次第です。(眠る場所なんて我儘いってはいけないのでしょうけど。)
都道府県(東京でも、いける距離なら)いってあげたいと思うんですが、近場は(都内など)高すぎて、無理でしょうが何か方法はないでしょうか? ダラダラ書きで申し訳ありません。
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Name: まふもふ
Date: 2010/07/18(日) 06:33
No:3674
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Title: Re:母のことで、相談。
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水波坊様、レスが遅くなり申し訳ありません。 いろいろ探してくださりありがとうございました、 頑張って自分も、時間があり次第探してみようと思います。 ありがとうございました!
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Name: まふもふ
Date: 2010/11/02(火) 14:31
No:3930
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Title: Re:母のことで、相談。
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徐々に解決できてうれしいです。 ありがとうございました。
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Name: うめ
Date: 2010/10/24(日) 20:04
No:3925
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Title: 遺骨の移動
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来年の4月に父の実家(田舎)のお寺の管理下ではない本家の墓地から私の家の近くの県のお寺の納骨堂へ父の遺骨を移動したいのですがそれをするにはまずどのような手順でやればよいのか、又、納骨を希望しているお寺様へはいつ頃相談をすればいちばんいいのでしょうか。又、お寺の納骨堂は檀家でないと安置していただくのは難しいことですか。
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Name: 水波坊
Date: 2010/10/28(木) 14:46
No:3927
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Title: Re:遺骨の移動
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改葬許可を得る必要があるので、まずは市役所に相談してみてください。そこで具体的な流れを説明してくれると思います。 また、納骨堂についてですが、檀家限定のところもあるし、そうでないところもあります。これはその寺院にお尋ねになるのが早いです。いつ頃…というのもないですから、いつでも相談して良いでしょう。 いずれにしても、墓地から遺骨を移すに当たっては、菩提寺にきちんと連絡をし、墓の撥遣(俗に言うお性根抜き)等をして頂かなくてはなりませんよ。
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Name: sensui
Date: 2010/10/20(水) 22:26
No:3921
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Title: 納骨について
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約2年前に主人を亡くしましたが,納骨をしておりません.ずっと自宅の仏壇においてあり,夜寝るときには枕元において寝ています.主人には,亡くなる前に『私の好きにして良い.』と言われていましたが,実際に納骨をしてあげていないことは,主人にとって不幸なことなのでしょうか?主人にとって一番良いことは,何なのでしょうか?教えて下さい.
尚,分骨をして一部は実家のお墓に納めてあります.主人は長男で,主人の両親は既におらず,主人の弟が唯一の肉親になります.しかしその弟は,現在行方不明です. 菩提寺のご住職とお話しした際に,『祭祀権は行方不明の弟にある.』と言われたことがあり,また遺産分割にて墓は弟の所有にしたため,将来的に主人と私が一緒に幸せに入れるお墓は,別に準備をした方が良いのかなと思っています.なかなか納骨しないことが主人にとって良くないのであれば,お墓探しを早く進めることにしますが,好きなだけ一緒にいても良いのなら,このまま私が死ぬまで一緒にいてもらおうかなとも思います.
主人にとって一番良いことがどうすることなのか,教えて下さい. よろしくお願い致します.
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Name: 水波坊
Date: 2010/10/20(水) 22:41
No:3922
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Title: Re:納骨について
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sensuiさん御自身が亡くなられた後のお骨の行方のことをしっかりケアできているのであれば、お骨を「その時」まで側に置かれることは問題ないと思いますよ。墓の祭祀権云々は世俗的なことでもありますから、具体的に色々と解決しなくてはならない部分でしょうけれど…これは現世の世俗的問題です。 少なくとも、御主人にとって納骨しないことが宗教的・仏教的に何か悪いのか、という点に関しては、そんなことはないです、とお答えします。 あとはsensuiさんの生き方、御主人との向き合い方が、御主人に喜ばれるものであるかどうか…という点ですから、仏の教えというものを少しずつでも学んで、善き生活を心がけ、御供養の心で過ごされれば、何もも問題はないと思います。
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Name: sensui
Date: 2010/10/20(水) 23:47
No:3923
| 解決
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Title: Re:納骨について
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水波坊様,ご回答いただきましてありがとうございます. 親戚から,納骨していないことを,きちんと供養できていないように言われることもあり,少し肩身のせまい気持ちもあったのですが,気が楽になりました.
もともと宗教に熱心ではありませんでしたが,毎日仏壇に向かってお線香をあげて手を合わせると落ち着きます.今となっては主人に何もしてあげられませんが,そのもどかしい思いは,仏壇に向かうことでいくらか緩和されます.これぐらいしかしてあげられないのですが,これぐらいが私の精一杯です. 私は今40歳なのですが,これからは長い人生なのか,短い人生なのか… ただ,ゆくゆくのことはしっかり考えながら主人の側で過ごし,私が死んだとき,または考えがまとまったときに納骨しようと改めて思いました.
どうもありがとうございました.
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Name: 太陽電池
Date: 2010/10/19(火) 18:11
No:3918
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Title: 陰徳について。
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私は昔から、人の為に何かすると隠しておくことができません。別に物での見返りは欲しくないのですが、感謝の言葉を聞いたり、嬉しそうな顔を見たくてつい、名乗り出てしまいます。近所でのささやかな奉仕や、冬の時期には高齢者の自宅前を雪かきするなど、無償の親切は苦にならないのですが、誰がしてくれたのかと問われると、隠しておけないのです。行き当たりにゴミを拾うとか、その程度のことは黙ってしますが、どうすれば全てに対して陰徳を良し、となれるのか、教えてください。※陰徳以外は偽善だと思っている方は失礼ですが、回答は控えてください。
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Name: 水波坊 [URL]
Date: 2010/10/19(火) 20:49
No:3919
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Title: Re:陰徳について。
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私は陰徳がすべて善し、とまでは思いませんよ。「私はこういうことをしました」と宣言し、「ともにそれをやりましょう」と誘う事で、善行の輪を広げることにもつながる場合があります。善い事をしているのを見た人が、それに続いて「自分も」ということは、あり得ますよね。 まぁ、「私はこんなにいい事をしてんだ!」と押し付けがましいのは逆効果で鬱陶しがられますし、善悪の感覚み人それぞれですから、その点は気をつけなくてはなりませんが…。
でも、「感謝の言葉」というのは一種の「見返り」ではありますので、もしそれを「求めているのならば」、感謝された時点でその善の報いを受けてますので、そこまでのものだ、という考えもあります。つまり、隠れて誰にも知られない善行は後々に善きカルマとして残るが、見返りが少しでもあれば、善行のカルマが軽減されてしまう…等々。 もちろんカルマ・業というのはそんなに機械論的なものでもないとは思いますが、ひとつの考え方としてそういうのもある、という紹介だけしておきます。
ま、「見返り目的ではなく」、善行の輪を広げていくことは素晴らしい善行だとは思うので、別に敢えて隠れていなくてもいいとは、私は思います。
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Name: 太陽電池
Date: 2010/10/20(水) 01:03
No:3920
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Title: Re:陰徳について。
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水波坊様、回答ありがとうございます。善行の輪という発想は思い至りませんでした。確かに「人の為に何かする」というメッセージを発すれば、陰徳とはまた別の良き徳になるという印象を受けました。カルマについても考えさせられます。このままでは私も「顔」の判る相手からしか恩恵を受けられなくなるのではないのかと、不安になります。人の為に何かすること自体が始点であり終点である、そこに無上の喜びがあるという域に達するには長い年月がかかりそうです。
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Name: まる
Date: 2010/10/18(月) 17:37
No:3913
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Title: 父のお墓
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生前、父から「自分が亡くなったら遺骨を父の実家(本家)のお墓へ伯父に相談して入れてほしい」と言われていて伯父に相談をして伯父に許可をもらって父の願い通りに本家のお墓へ遺骨を納めさせてもらったんですが後になり伯父から「田舎のお坊さんが本家のお墓に父の遺骨を入れるのは常識的におかしいって言われたので小さいお墓を作って別にしたから』と言われそのことにより『お墓の守りは誰がするのか、このままだと無縁仏になるぞ!』と伯父に言われ困っています。田舎のお墓に入るのは父の生前の希望だったのでできることなら父の希望通りにしてあげたいのですがそのことで伯父に迷惑をかけているのなら遺骨をこちらに引き取り供養しようかと思っているんですがすでにお墓を建てている場合、遺骨を引き取るという行為はできることなのでしょうか。
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Name: 芝
Date: 2010/10/18(月) 18:10
No:3914
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Title: Re:父のお墓
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昔は本家のお墓に分家の人間が入ることは出来ませんでした。家督制度と言う法律があったからです。
現在では、管理者(菩提寺の住職)の許可があれば可能です。 つまり、本家のお墓に入る為には、本家だけではなく、お寺からも承諾を得なければなりません。
しかし、「無縁にするぞ」 みたいなやり方は横暴過ぎると思います。 いきなり、引き取ると決めてしまうのではなく、管理者であるお寺に、良く相談された方が良いと思いますよ。 遺言を大事にしてあげたいですよね。
役場に行けば、改葬許可書は発行してくれますよ。
ただし、管理者と本家の許可がなければ書類はあっても難しいことです。 ご自分やご自分の家族が建てたお墓や、あなたやあなたのお父さんが継承されたお墓ではないので、独断な行動は難しいでしょう。
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Name: まる
Date: 2010/10/18(月) 21:48
No:3916
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Title: Re:父のお墓
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ご回答を下さってありがとうございます。お寺様の許可もいるのですね。うちの田舎の墓地はお寺の中ではなく道路脇の田んぼに囲まれた中にポツンと墓地のかたまりがある中にあるのですがそのような土地の墓地でも管理している菩薩寺はあるのでしょうか。或いは父の法要をお願いした田舎のお寺様の許可をいただいたらよろしいのでしょうか。
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Name: 芝
Date: 2010/10/19(火) 15:50
No:3917
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Title: Re:父のお墓
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寺墓地でなければ、管理者に口頭で許可をもらえば大丈夫ですよ。埋葬許可書を保管している人が管理者です。 その管理者に許可書を返還してもらえれば、改葬できます。 役場で改葬許可書をもらっても、どちらでも大丈夫です。
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Name: 猿田坊
Date: 2010/10/18(月) 08:07
No:3910
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Title: 聖教新聞について
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ご存知の方がいらしたら教えていただきたいのですが、某学会では、信者さん獲得等で聖教新聞を購読させるノルマはありますでしょうか?
近隣の70歳を超えたおばあちゃん(普段、ほとんど付き合いはありません。たびたび勧誘されたり、お菓子を郵便受けにいれられ頂いたりしてます)から、三ヶ月だけでいいので購読してくれないかと置き手紙をされました(新聞一部付き)。
しっかり勧誘はお断りさせていただいたのが一ヶ月ぐらい前なのですが、諦めていないのか、あるいはノルマがあって致しかたなくなのか……。
ノルマがないのであれば、読まないからとハッキリ断ろうと思うのですが、ノルマがあるのであれば、苦労されていると思いますので三ヶ月は付き合い、そして断ろうかと思います。
学会内の事情について、ご存知の方がいらっしゃいましたら、ご教示いただきたく宜しくお願いいたします。
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Name: 菊雅
Date: 2010/10/18(月) 10:13
No:3911
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Title: Re:聖教新聞について
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私の解答でよければ?
基本的には、自主的な会員の活動(勧誘・選挙活動)の一つとしてあるようです。 (実際には、その地区の幹部や役職がついている方、役職を目指す方がノルマのようにしている場合があるみたいです。) で、新聞をとることは、勧誘の対象となります。 そのおばあちゃん以外にも地区の担当者等が執拗に勧誘に来ます。 知人にも会員が居たのですが、結果的に人間関係が悪くなってしまいました。
余談ですが、今周りにいる知人の会員さんには、ソウカには入らないけれど選挙の時(家に来ます)には、投票してあげるからそれで勘弁してと言っています。(投票しませんけど)
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Name: 猿田坊
Date: 2010/10/18(月) 12:49
No:3912
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Title: Re:聖教新聞について
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詳しく教えていただきありがとうございます。
確かに、選挙も協力を頼まれました。おっしゃられる、協力は選挙のみという言い方が、もっとも角立たない気がしますので、それでいこうかと思います。三ヶ月とっても執拗にまた来られると面倒になってくるので……。
ありがとうございました。
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Name: 青葉
Date: 2010/10/04(月) 22:18
No:3897
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Title: 供養
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知人に、先祖供養が熱心な人がおります。しかし供養をしても悪いことが続き、霊視所へ行って相談したところ、「供養を羨ましがって、本来供養をする義務のない他人の霊まで頼ってきている」と霊障を指摘されたそうです。お寺や祈祷師でもない個人に、他人の霊から迷惑をかけられても困ります。自分の先祖を供養していても、他人の霊を寄せ付けない方法はありますか?
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Name: 天台沙門
Date: 2010/10/05(火) 09:44
No:3901
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Title: Re:供養
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純粋に、釈尊の教説からすれば、固定した実体としての霊魂は存在しません。 存在しないものが、なにごとかの現象を起こすはずはありません。人が、自分にとって納得できない都合の悪いことを、霊魂という在るか無いか定かでないもののせいにしているだけです。
なんということはなく、他人の霊であってもあわせてご供養してさしあげればよいのです。 仏教とは別個に存在する日本古来の信仰では、祀られない神霊は祟るが祀ってさしあげれば守ってくれるという意識があります。例えば、施餓鬼法要の目的はこれです。また、仏教法要の最後に「この功徳を以て、三界諸有の一切の有縁無縁の諸精霊に回向し奉る」とつけたすことはよくあります。無縁の霊を供養することは善であっても悪ではありません。 それが慈悲というものでしょう。
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Name: 青葉
Date: 2010/10/06(水) 20:26
No:3903
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Title: Re:供養
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皆様ありがとうございます。返信遅れてすみません。やはり霊のせいにばかりすることは良くないですね。ポジションに生きることが霊問題より先だと思いました。
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Name: 一般人
Date: 2010/10/11(月) 13:38
No:3908
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Title: 削除について
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まず、スレ主様にお詫び申し上げます。
コメントを投稿しましたが、他の掲示板で私の書いたことを元にして、恨みつらみが書かれている模様です。
期しない状況ではございますが、怨みは怨みをもってしてやまず、といいます。コメントを削除することで、怨みがやむことを願いたく思います。
スレ主様に向けたコメントでございましたが、スレ主様には削除することをお詫び申し上げます。 必要のなくなったイカダは、背負っておくのは愚かだ、捨てるのがよいとブッダはおっしゃいます。既に必要のないイカダと考え、削除に関しては御容赦願います。
スレ主様と知人の方のお幸せを、心よりお祈り申し上げます。
(追加) 私が「いろんな主張が有り得るので、混乱しないようご注意ください」とコメントしたことについて、否定しただとか牽制とか、はたまた仏?がどうのと書かれるのは全く検討違いとしか思えず、正直、困惑するしかありません。 以前書いたコメントを削除したことが逆効果だったように感じます(心にやましいところがないのですから、残しておくべきでしたね。また、ルール違反のはずの批難中傷にも驚きました。掲示板は怖いところですね。おかげさまで勉強にはなりました)。
仏教(ここでいう「仏」は、あくまでゴータマ・シッダールタです)では、怒りはよくないものと教えます。怒りを起こすことは体に毒ですので、怒りを抱いた生きとし生けるものの怒りが消え、幸せになりますことを、この件に関する最後のコメントとしてお祈りさせていただきます。
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Name: あずき
Date: 2010/10/06(水) 15:50
No:3902
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Title: 宗派は先祖と同じでなくてもよいのでしょうか?
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はじめまして。 宗派のことでご相談させてください。
先祖代々から受継がれている宗派があると思いますが、 その宗派というのは、先祖とは違う宗派でもいいものなのでしょうか?
先日義母が他界し初めて葬儀を執り行いました。 お墓も、義父(昭和一桁の次男)が寿陵墓を建てていましたので、 お墓のあるお寺のお坊さんに葬儀をお願いしました。 その寿陵墓は、義母方の兄弟三人で義母方の宗派(義父は婿養子ではありませんが)のお寺でした。 実は私達も葬儀を終えて知ったことなのですが、義父曰く私が建てるのだから、宗派も自由に変えてよいということでした。 もちろんお墓の墓石の種類や場所などは自由であってよいと思います。 今回の葬儀で初めて、○○家の先祖の宗派とは違うことを知り、当然、義母も先祖とは違う宗派のお墓に納骨されてしまいました。 宗教は個人の自由ですが、それは信仰する宗教のことであって、 宗派は別ではと思うのですが・・・ 長男でないからと自分が建てるお墓であっても、一般的には先祖の宗派に統一するものではないかと思っていたのですが、現在では個人の自由なのでしょうか?? 一般的にはどのようになっているのでしょうか?
義母の四十九日後より、突然私自身体調が悪くなり毎日具合が悪く、今回のことが大変気がかりでいます。 宗派のこととは関係ないことと思いますが・・・ご先祖様からお叱りを受けているような、何かのメッセージのようなそんな気がしています。
また、義父が建てた寿陵墓ですが、なぜか建立者は主人(息子) にしてしまっています。 自身が建立者でなければ寿陵の意味がないと思うのですが、建立者に関しましても何分無知なもので、教えていただけましたら幸いです。 どうぞ、宜しくお願いいたします。
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Name: けん
Date: 2010/10/07(木) 17:08
No:3904
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Title: 教えてください
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先祖は浄土真宗一筋で来たんですが、自分は真言宗を信じてます。 将来、長男なので仏壇を見ないといけないんですがどうしたら良いでしょうか?
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Name: 水波坊
Date: 2010/10/07(木) 18:24
No:3905
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Title: Re:教えてください
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個人的にはもちろん、自分自身が信じている道を行くべきですし、そうでなければ信仰・信心にはなりません。 問題は代々の宗派ということですが、これは状況によります。 まず、自分が本家の筆頭でない分家筋であれば、菩提寺も含めて自由だと思います。うちの場合でも兄弟でみんな宗派が違う人もいます。 本家の筆頭である場合でも、寺院墓地がなく、菩提寺とのつながりも薄い場合は、改宗して寺を移動するのもアリでしょう。 問題は寺院墓地がある場合ですが、この場合、改宗すれば墓も移動させなくてはならないかも知れません。
私であれば、家の宗派はそのままにして、法事などは従前のようにやると思います。 基本的に、宗派の違いは人間の都合・妄念無明の分別心の産物であり、本性の真如・仏・真理には別に宗派に拠る区別などないと思っていますので、私自身は宗派云々にほとんどこだわりはないです。 川を渡るのには色々な船がありますが、どれに乗っても向こう岸には着くでしょう。穴が開いていなければ。そして、伝統的に形成されてきた船は、ほとんどのものに穴は開いていないものです。 船の形や色に心を奪われて大切なものを見失うことはありません。要は向こう岸に渡り、そしてどのように生きるのか。それだけが大切です。
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Name: 天台沙門
Date: 2010/10/09(土) 12:43
No:3906
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Title: Re:宗派は先祖と同じでなくてもよいのでしょうか?
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基本的に、信仰というものは個人のものでありますし、日本人の信仰感覚では生きているうちの信仰がどうであれ、菩提寺に仏式で祀られれば安心するというところがあります。そもそも、多くの人が菩提寺さんの宗旨を意識していないというのが現実です。 宗旨宗派の違いは、基本とする経典の違いであり、祖師さんの仏教解釈の違いであり、勤行の方法と儀礼の違いにすぎません。例えば、浄土教系では死者は極楽浄土に往生するのに対し、密教系では大日如来(宇宙の真理)と一体化して成仏するなどと、教理的には死者の行先に関する理解が異なります。 ですが、本然的に仏教は死後の世界を説かない宗教です。 「諸法皆空、諸法無我」や「諸行無常、是生滅法」などの具体例として「人はいずれ赴くべきところがある」という大枠の諦観さえきちんとしておけば、理念的な差異は方便の一環として放置しておくのが仏教らしい態度といえます。
Q1 先祖とは違う宗派でもいいのか? A1 かまいません。 なぜかというと、家(一族)の墓が菩提寺と結びついたのは「寺請制度」という徳川幕府の宗教政策がもとです。そして、それ以前からあった、一族の墓に葬られる、という自然な風習と結びついて、特定の宗旨をもつ菩提寺という寺の墓に先祖から子孫まで葬られるようになったのです。 また、嫁に出た女性や婿に行った男性も、実家ではなく婚家の菩提寺に葬られることになりますから、当然、ご先祖と宗旨は変わります。宗旨宗派が個人のものではなく家のものであるからです。
Q2 寿陵墓の建立者 A2 確かに、ご本人が建立者ですから建立者銘もご本人というのがスジですが、それほど気にすることもないかと考えます。 ですが、より丁寧にというのであれば、「戒名」という「死後の名」をすでに決めてしまって墓石(墓誌)に刻んでしまうことをお勧めします。本来、戒名とは仏教徒になったことを示す名の変更であり、または西欧文化でいうところの墓碑銘であろうと考えますので。 なお、存命の方の名を彫った場合は赤く染めて区別します。夫を亡くした妻の名を、夫の戒名を刻む際に一緒に刻んでおくという風習があります。
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Name: あずき
Date: 2010/10/09(土) 21:34
No:3907
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Title: Re:宗派は先祖と同じでなくてもよいのでしょうか?
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天台沙門さま ご回答ありがとうございます。
宗派の違いも、 寿陵墓の建立者も特に問題ないとのことで、 ほっとしました。
>より丁寧にというのであれば、「戒名」という「死後の名」をすでに決めてしまって墓石(墓誌)に刻んでしまうことをお勧めします。 戒名を刻む・・・そのようなことも出来るのですね。 事前に決めるということが可能なんですね。
些細なことではありますが、ようやく心が晴れたような気がします。ありがとうございました。
水波坊さま ご回答ありがとうございます。 けんさんへのお返事だったでしょうか・・・
>自分が本家の筆頭でない分家筋であれば、菩提寺も含めて自由だと思います。うちの場合でも兄弟でみんな宗派が違う人もいます。
ご兄弟でそれぞれ違うというのもありなんですね。 宗派の違いはそもそも人間の都合。そのようですね。 ありがとうございました。
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