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Name: 雲
Date: 2009/04/04(土) 22:03
No:2372
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Title: 別宗教の呪いからの救済
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別宗教の呪いをかけられ私は子供ができない様な人生を歩んでいます。 呪いから避ける為には、 1別の神様から救済を受ける。 2その呪の使い神を降伏、封印。 3術者が呪いを撤回する。 だと思うのですが、どれもわかりません。 救済を求めたいです。
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Name: 雲
Date: 2009/04/04(土) 22:10
No:2373
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Title: Re:別宗教の呪いからの救済
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どのようなところにいけばよいでしょうか? 呪いの祭神はその時にだけ現れるのでしょうか? いつも居るのでしょうか?どちらの場合も有るのでしょうか?
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Name: 生き方塾 [URL]
Date: 2009/04/05(日) 07:16
No:2376
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Title: Re:別宗教の呪いからの救済
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おはようございます。
呪いをかけられたというより、悪い暗示にかけられたのです。
呪われたからこうなった、とおもわないことです。
思わない自分になることで回避されます。
気にして悩むより、それに負けない心磨きをすることです。
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Name: りっく
Date: 2009/04/05(日) 14:13
No:2381
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Title: Re:別宗教の呪いからの救済
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私も行き方塾さんと同じく、単に暗示にかかっていると思います。
気にされない方がいいですよ。
あなたが気にされると向こうの思う壺だと思います。
相手にしないことです。
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Name: あき
Date: 2009/04/04(土) 21:58
No:2371
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Title: 教えて下さい
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実父なのですが医師の方から覚悟して下さいと言われました 逝去したら母の眠る墓に埋葬したいのですが父は生活保護を受けており戒名をつけて頂くお金がありません親戚も付き合いがありません日蓮宗のお寺なのですがおそらく最低100万と言われます役所が出してくれる事もないです 母の眠る墓に戒名無しで葬る事はできるのでしょうか葬儀は本人の希望で火葬のみにしたいのです 詳しく教えて頂きたいのですどうかお力御貸し下さい
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Name: 通行人βー
Date: 2009/04/05(日) 00:56
No:2374
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Title: Re:教えて下さい
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http://www.kaimyo.jp/ 上記サイトに戒名を低額で授けるところありました。 参考にしてみてください。 埋葬については、火葬証明・除籍票・入山料など 必要ですがそこに戒名まで記載するのかは 寺院によりますが俗名だけでも良いはずです。 また、葬儀については市営葬で花祭壇など オプション外せば安価で行えますが,僧侶を呼べば 当然お布施などは別料金ですね。 葬儀会館で霊安出棺するのも安価です。 後の墓所への納骨についても僧侶頼んで回向希望なら 同じくお布施は必要ですね。
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Name: 天台沙門
Date: 2009/04/05(日) 10:37
No:2379
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Title: Re:教えて下さい
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そのときまで、お父上が安心して生きていかれますよう、お祈り申し上げます。
>>母の眠る墓に戒名無しで葬る事はできるのでしょうか葬儀は本人の希望で火葬のみにしたいのです > さて。 ご母堂とご一緒に日蓮宗のお寺の墓地に葬る、と読み取れますので、戒名をつけずに納骨なさることは、かなり難しいと考えられます。 いわゆる「戒名料」や「葬儀布施料」などには、決まった金額などありませんから、そのお寺さんにご相談なさることで「格安」になることは期待できます。しかし、寺院墓地に葬る場合、よほどの事情がない限り、俗名のまま葬るということは宗教上ありえない、というものが私の見解です。「布施」は経済の問題ですから、いかようにも妥協の余地はあるのですが、「戒名=法名」は宗教と信仰の問題ですから妥協の余地はありません。
なお、寺院墓地に埋葬する場合、その寺の住職さんに戒名(法名)を授けていただき、その寺の宗旨に則って法務をすることが原則です。率直に申し上げますが、金額ベースで戒名を頂き、戒名の「持ち込み」で法務を依頼しようとするとトラブルの原因になります。
まずは、その日蓮宗のお寺にご相談いただくのが最善です。
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Name: 丸
Date: 2009/04/02(木) 14:16
No:2355
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Title: 経
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願わくば〜から始まる経は何がありますか?
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Name: 巳朱
Date: 2009/04/02(木) 19:45
No:2358
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Title: Re:経
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お経というか、回向の文では?
「願わくば、この功徳をもって、あまねく一切に及ぼし、我らと衆生と皆共に、仏道を成ぜんことを・・・・」
般若心経でも観音経でもなんでも、お経を唱えた後「お経を唱える」ことでいただいた功徳が、自分だけでなくみんなに行き渡るようにと願う言葉だよ。
読経は、開経偈(これから読経しますよって宣言の文です)に始まって、本題のお経を唱え、回向の文を読んで終わります。
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Name: (●^ー^●)
Date: 2009/04/03(金) 18:40
No:2364
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Title: Re:経
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その経文は法華経ですよね。 何番目でしたかね。
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Name: 天台沙門
Date: 2009/04/05(日) 09:46
No:2377
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Title: Re:経
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いわゆる「回向文」ですが「法華成仏偈」とも呼ばれます。
「願以此功徳、普及於一切、我等余衆生、皆共成仏道。」
出典は『妙法蓮華経・化城喩品第7』です。
もうひとつ「念仏回向偈」というものもあります。
「願以此功徳、平等施一切、同発菩提心、往生安楽国。」
こちらの出典は『観無量寿経疏』です。
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Name: ユキエ
Date: 2009/04/02(木) 15:46
No:2356
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Title: 線香について
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主人の母が同居することになり、マンションに仏壇を持ってくることになりました。 普通、仏壇には毎日線香をあげてお参りすると思いますが 子供 が線香の香りや煙にアレルギーがあり困っています 必ず線香はあげなければならないのでしょうか?電気のお灯明をつけてお参りするわけにはいかないのでしょうか?
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Name: 摩耶
Date: 2009/04/04(土) 08:16
No:2366
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Title: Re:線香について
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御線香アレルギーとは初めて聞きましたが、お姑様にはきちんとご相談されてますか? 今は御線香にも少煙微香タイプの物や珈琲やお茶の香りなど、かなり数多くの種類が出ています。一度仏壇屋さん(出来れば大きいお店・品数多い為)で尋ねてみて下さい。 そういうタイプの線香でもアレルギーで駄目ならば致し方ない事なのでしょうが、蝋燭にはアレルギーがある訳ではないでしょうし、せめて蝋燭は灯して手を合わせられたら宜しいのではないですか?
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Name: ユキエ
Date: 2009/04/04(土) 16:59
No:2368
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Title: Re:線香について
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摩耶さん ご返答ありがとうございます 子供は線香アレルギーというのではなく、いわゆる過敏症でマッチを擦った時の臭いやタバコの煙、粉洗剤等の粉末・・・少しの刺激でひどいくしゃみ、鼻水、鼻詰まりを起こしてしまうのです やっぱり、少煙微香で短い線香とかでお参りしてみる方がいいですね 先祖を疎かにしてしまうようになるのは、本意ではないので・・気持ちがあればどんなでもいいと思っていたのですが、最低限の形というものはやはりあますよね
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Name: りっく
Date: 2009/04/04(土) 19:46
No:2369
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Title: Re:線香について
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可能であればお線香を一本でもあげられたほうが 良いとは思いますが、アレルギーなどであれば難しいですよね? 仏壇の前で手を合わせて朝晩ご挨拶されているのであればお線香なしでも必ず神様やご先祖様に心は届くはずですから大丈夫ですよ ^^
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Name: かよこ
Date: 2009/04/03(金) 11:56
No:2360
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Title: どうするべきか?
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叔母の一周忌を今月末に行うと、従弟から連絡があったのですが、遠くから きてもらうのは大変なので、実の子供と孫達と、あと叔母の兄弟のみで行うから心配しないでと言う連絡がありました。 この場合お線香代を送るべきでしょうか? どなたか良きアドバイスをお願い致します。
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Name: 摩耶
Date: 2009/04/03(金) 12:59
No:2361
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Title: Re:どうするべきか?
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かよこさんのお気持ちが落ち着くようにされれば良いと思いますよ。 参列は出来ないけれど、御供養したいお気持ちはありましょうし、だからといって先方が気を遣われても…とお考えなら進物用の御線香などを行かれる方にことづけるか、送られたら宜しいかと思いますよ(^^)
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Name: かよこ
Date: 2009/04/03(金) 13:30
No:2362
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Title: Re:どうするべきか?
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なるほど、そうですね。 的確なアドバイスを頂き有難うございます。今回のような ケースは自分の気持ちが落ち着く方法を選択すれば よいですね。 もう少しだけ考えてみます。 おかげ様で気持ちが軽くなりました。
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Name: さち
Date: 2009/03/31(火) 23:53
No:2345
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Title: 出家
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私はこの春高校2年生になる女です。 私の高校は県下でもまあまあな学校なのですが、学校を辞めて、出家したいなどと思っています。 どうすればよいのでしょうか。 純粋に、禅宗に興味があります。 しかし私はまだ若いのだろうし、女なので、よくわからないんです。 あらゆる欲を捨てる覚悟はあるのです。 なんでもいいので教えてくださいませんか。
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Name: 餡
Date: 2009/04/01(水) 08:02
No:2346
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Title: Re:出家
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学校をやめて出家するのはお勧めできません。 出家に対して過大な期待をしてはいませんか。 何故そこまでして出家を考えているのでしょう。もし、逃避なのでしたら尚更です。 お寺の中もいろいろあります。思い描くような決してきれいなだけの世界ではないことを理解してください。職場がお寺くらいに思った方がよいです。 きちんと学校へ行かれた方がよいですよ。
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Name: さち
Date: 2009/04/01(水) 11:32
No:2348
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Title: Re:出家
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そうですか・・・・ 私は若干うつ病気味で、よく死にたいと思うのですが、死ぬ勇気がなく、そんな自分が嫌で、もっとうつになっていくんです。 自殺したいです。 でもなかなかできないんです。 出家して、余計なものと切り離された生活に憧れます。 禅宗のことをある小説で少し知りました。そして、いかに厳しくともその修行をしてみたいと思うようになりました。 職場がお寺、といったかんじじゃなく、住み込みで修行したいです。 今の時代、そんなものはないのでしょうか? 私は、よく倫理的なことと言うか、哲学的なことを考えてしまいます。 修行をすれば、少しでも達観した考えにたどり着くことができるのではと思っています。
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Name: nature
Date: 2009/04/01(水) 16:58
No:2349
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Title: Re:出家
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うつ気味でしたら、ますます出家はオススメできませんね。お寺は病院ではありません。坐禅で精神系の病気が治るという間違った認識がされたりするようですが、それは全くの間違いです。
「余計なものと切り離された生活」ということですが、余計なものとは何でしょうか。きつい言い方とはなりますが、なぜ食べることができて、なぜ学校に通うことができるのでしょうか? 衣服を着て学ぶことができて、安心して今日も夜眠れるのは「おかげ様」であって「余計なもの」ではないでしょう。
お寺で修行しなくても、お寺の法話を聞きに行ったりするだけでも「達観」した考え方をできるようになると思いますよ。しかし、その前に周囲に対して「感謝」の念を持つことが出来るようになれば、今の生活がもう少し「ありがたい」ものと感じられ、充実するのではないかと思います。
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Name: ゆういちくん
Date: 2009/04/01(水) 20:19
No:2350
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Title: Re:出家
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高校ぐらい卒業しとかないとお坊さんにもなれませんし、 社会で生活していけませんよ。またお坊さんも初めは 一般教養を身に付けなければいけませんので、高校やめても、また始めからお寺で高校で習う事を学んでいくことになります。また修行する場合、よほど精神的に強い人でない限り、とくに鬱の傾向ある人がすれば、よけいに症状が重くなります。またお寺の中というのは、すべての面で過酷て厳しく先輩後輩関係の厳しさ、好きな物も食べれないテレビも見れない、暖房や冷房もない朝から晩まで、雑用、掃除、炊事、へとへとに疲れたあと、寝る時間を割いて修行をします。寝る場所は共同部屋で一人の時間はありません。泣ける場所もありませんよ。面白いものは何もありませんよ。年齢を重ねて60歳にでもなれば大抵のおばちゃんは達観してます。いまあなたがすべきことは高校で習う教養を一生懸命学び、将来の進路に合わせた勉強をしなくてはいけません。
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Name: 天台沙門
Date: 2009/04/02(木) 09:25
No:2352
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Title: Re:出家
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修行僧への憧れがあり鬱状態からの回復を求められているならば、河合隼雄『明恵・夢を生きる』(講談社アルファ文庫)の一読をお薦めします。
私は禅家ではありませんが僧侶としてお伝えします。 天台宗では、幼いうちからの「得度」は認めても、僧侶となるための修行の過程に入るには高校卒業が原則です。その理由は、高校を卒業できているならば、最低限の常識と学力と判断力とが備わっていると考えられるからです。同様の理由からおそらく他宗さんでもそうでしょう。
>>あらゆる欲を捨てる覚悟はあるのです。 > >>出家して、余計なものと切り離された生活に憧れます。 > ならば、まずは現在でいうところの「ロハス」な生活を実践してください。そこにマザー=テレサのおっしゃられた「あなたの家族を大切にしてください」というこころがけがあれば充分ではないでしょうか。 いうまでもなく「出家」と「職業としての宗教者」とは別個の概念ですが、出家である以上は宗教者であらざるをえず、宗教者であれば他者をも救うという「余計なもの」を負う必要があります。
>>私は、よく倫理的なことと言うか、哲学的なことを考えてしまいます。修行をすれば、少しでも達観した考えに > 仏教を西洋哲学の用語で説明すると、存在論的には「すべての事物は関係性の中でのみ存在している」という「縁起説」と、認識論的には「主観や先入観をとりはらい事実を事実としてのみ認識せねばならない」という「空観」を両輪とする実践倫理の体系です。 「禅」や「天台」とは、これらを体得するための修行のシステムにすぎません。また、大乗仏教では、空の体得には出家修行は必要ではない、という立場をとります。 (註:『維摩経』では修行そのものにとらわれている出家修行者が批判されている。)
仏教は本質的に主知的なものですが、それだけに実践をやかましく言います。 ものの試しに「参禅会」や「写経会」に参加なさってはいかがでしょうか? 貴方のお宅が、いわゆる菩提寺さんをおもちでしたら、そちらの住職さんに本堂を借りて読経させてもらうのもよろしいかと。
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Name: さち
Date: 2009/04/02(木) 09:38
No:2353
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Title: Re:出家
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皆様、こんな自分のためにいろいろな助言、ありがとうございます。 やっぱり高校は卒業するべきなのですね。 もう少し頑張ってみます。
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Name: ゆういちくん
Date: 2009/04/02(木) 20:52
No:2359
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Title: Re:出家
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好きな仏様、たとえばお釈迦様やお地蔵さん、観音さん 不動明王さん・・・等おられますが どちらの方でも、さちさんの好きな仏様を一つ決めて さちさんを守る仏様になっていただいたらどうでしょうか? 朝夕に手を合わせ、観音様に自分の気持ちをお祈りするんです。
特に観音様は、 「人が苦しんで助けを求めた場合、一心にお祈りすれば 苦しみから逃れるように必ず助けます」 と宣言されてます。ですからお名前が、(人の助けを 求める)音をいつどこであろうと観きわめて 助けて下さいますので、観音というお名前なのです。
南無観世音菩薩 なむかんぜおんぼさつ
困ったとき、しんどい時、悲しい時 一心にお祈りすれば必ず力を貸して下さいます。
有意義な学生生活をお送りくださいね。
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Name: なべ
Date: 2009/04/01(水) 09:51
No:2347
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Title: 中絶した胎児の供養
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今回、諸事情により20週の胎児を中絶せざるを得なくなりました。 産婦人科からは役所へ届け出て火葬場の予約を取るように言われたのですが、火葬後のお骨はどのように供養をしたらよいのでしょうか? まだお墓を持っているわけではなく、供養をしたいのですがどのような方法、必要な費用等がわかりません。 また、どこに相談したらよいのかもわからず困っています。 教えてください、お願いします。
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Name: 天台沙門
Date: 2009/04/02(木) 09:41
No:2354
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Title: Re:中絶した胎児の供養
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まずは、お悔やみ申し上げます。
かつての日本では、生まれてこなかった子や生まれたすぐに死んだ子を「いなかったこと」にしていた風習がありました。ですが私は、胎内にいただけだったとしても、ひとつの人格を持った個人として弔ってさしあげることが、その子にとっても親にとっても善いことであると信じております。 供養とは、その人が生きていたことを生きのこっている者が想い出すことであり、そのための儀式です。
>>まだお墓を持っているわけではなく > 貴方ご自身(またはパートナーさん)のご両親の菩提寺の墓所に埋葬するのが最善なのですが、「諸事情」にそれがかなわぬ理由が含まれているのであれば、次の2通りを考えることができます。 (1)新たに墓所なり納骨堂の手配をする。 (2)1周忌なり3回忌なりをめどに、それまでは納骨せずに手元で供養する。
>>供養をしたいのですがどのような方法、必要な費用等がわかりません。 > 先述の通り、供養とは故人を想い出すための儀式であると考えておりますので、方法もいろいろとあり、その方法によって費用も異なってくるというのが実情です。
>>また、どこに相談したらよいのかもわからず困っています。 > 本来はご家族ご親族になさるべきなのですが、実務のみを淡々と行ってくれるという意味では葬儀社に相談なさるのが最善かもしれません。火葬等の法的な手続きの代行は当然として、宗教儀式やら納骨先やらの紹介も受けてくれます。
以上、雑駁ながら。
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Name: 看護疲れ
Date: 2009/03/18(水) 01:26
No:2301
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Title: 菩提寺
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よろしくお願い致します。 菩提寺(真宗大谷派)とは祖父の葬儀と戒名を授かる時、以後数年お盆に来て頂いただけで、その後長男の私は現住地に、数年後両親も私の近所に移り10年強御無沙汰のまま。 先祖代々・永代供養のお墓は、菩提寺のある市の市営霊園にあり年数回お参りしており、菩提寺に来て頂いた事がありませんが、そのまま供養し続けたいのです。 (菩提寺や市営霊園と現住地とは車で3時間弱)
父を送る時期が近づいており、いずれ現住地の葬祭会館を利用予定ですが 「通夜〜火葬」「戒名を頂く」「お墓に来て頂く」他、お寺さんは ・菩提寺から、来て頂きお世話になる ・事前に菩提寺に紹介を頂いた、原住地同宗派のお寺に来て頂きお世話になる ・事前に菩提寺の許可を頂き、葬祭会館経由で原住地同宗派のお寺に来て頂きお世話になる どの方法がいいのでしょうか。 漠然とした質問ですが、アドバイスを頂けると嬉しいです。
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Name: 天台沙門
Date: 2009/03/18(水) 10:10
No:2304
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Title: Re:菩提寺
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>>菩提寺から、来て頂きお世話になる > のが一番です。車で3時間でも、お出かけくださり法要を営んでくださるはずです。ただし、そのときには、まず菩提寺さんに連絡をして、菩提寺さんの都合にあわせた葬儀式の日時を組んでください。菩提寺さんのご都合がどうしてもあわなければ、菩提寺さんから他の方を紹介いただけるか、葬儀屋さんに紹介してもらうようご指示があるでしょう。 「10年強御無沙汰」なことがお気がかりでしたら、ちょうどお彼岸の季節ですから、菩提寺さんにお参りなさって「いずれ父の葬儀も考えねばならぬ歳になりましたので、その節には自宅の近所の会館を使いますが、ご法要をお願いいたします」とご挨拶なさっておくこともよろしいかと。
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Name: 看護疲れ
Date: 2009/03/21(土) 02:32
No:2318
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Title: Re:菩提寺
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早速の御回答ありがとうございます。病院滞在でコメントが遅れて しまいました。 先日、葬祭会館担当者との話で「菩提寺の許可を頂かずに、菩提寺 でないお寺に世話になりそこで戒名を頂くと、後日墓に埋葬しよう とする段になって菩提寺とトラブル発生の例が多いので、よくよく ご確認下さいね」と言われました。
そこで、追加質問させて下さい。 菩提寺様が当地まで来て頂ければ、戒名は直接授かりお布施とかも お渡しできますが、 >菩提寺さんのご都合がどうしてもあわなければ、菩提寺さんから 他の方を紹介いただけるか葬儀屋さんに紹介してもらうようご指示 があるでしょう この場合一般的に、戒名を授かるのは菩提寺様からか、紹介された お寺からでしょうか(埋葬時に前出のトラブルも心配で‥) また、お布施は双方に御渡しをしないといけないものでしょうか。 昨今の収入源もあり困惑しております。
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Name: 天台沙門
Date: 2009/03/21(土) 12:50
No:2322
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Title: Re:菩提寺
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>>病院滞在で > お疲れさまです。自宅介護も大変ですが、通いの介護も大変ですね。移動時間は気分転換の時間とでもお考えになってください。
>>この場合一般的に、戒名を授かるのは > 菩提寺さんから、と考えていただいて結構です。
菩提寺の住職がなにかの事情で葬儀を務められない場合、 (1)住職が戒名を授け、その戒名で代理僧が通夜葬儀をする (2)俗名のままで通夜葬儀を行い、納骨をめど(葬儀と納骨が同日なら四十九日とか百カ日とか)に住職が戒名をつける (3)住職が、通夜葬儀をする代理僧に一任をしてしまう の、可能性があります。 菩提寺さんが代わりの方を紹介なさった場合は(1)、葬儀屋さんの紹介の場合は(2)となり、(3)の可能性はごく少数です。
>>お布施は双方に御渡しをしないと > これは金額を含め一概には言えません。菩提寺さんに率直にお尋ねいただくのが一番かと。 可能性は以下の通りでしょうか。 (4)代理は代理なので車代だけ渡し、布施料は菩提寺に届ける (5)布施料一切を代理僧に渡すと、住職とで案分なさる (6)法要の布施料を代理に渡し、住職に戒名料を渡す いずれにせよ「相続税申告に必要なので領収書を発行してください」とお願いしましょう。
実例として私の寺の場合を。 (7)同日に二件の葬儀が重なったので、戒名をお授けし代理の方に通夜葬儀を依頼。布施料は後日お預かりすることとして、代理の方には「御法礼」という名目で私の寺が謝礼を支払う。 (8)葬儀社の紹介で通夜葬儀を依頼されました、と同宗旨のお寺さんから連絡あり。遠方だった(とはいえ同じ都府県内)ので、俗名での通夜葬儀を依頼。当方は通夜葬儀の布施料はいただかず。後日、納骨法要の布施料を「戒名料」という名目で多めに預かる。 (9)本当に遠方の方で、亡くなった方の知人の他宗の僧侶さんに戒名を授けていただき通夜葬儀を営んでもらう。事後にご家族と他宗の僧侶さんから手紙をいただき事情は理解。通夜葬儀および戒名料はいただかず。
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Name: 看護疲れ
Date: 2009/03/27(金) 19:36
No:2342
| 解決
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Title: Re:菩提寺
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またコメントが遅くなってしまいました。 適切なアドバイスをありがとうございました。 一度菩提寺に伺って、直接相談して来ます。
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Name: さすらい人
Date: 2009/03/26(木) 22:00
No:2339
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Title: 人との巡り会い
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進学や就職、結婚など人生の節目節目に多くの人に出会いますが、その人とって良い出会いに巡り会う人と、そうでない人が居ます。
仏教的には人との巡り会いはどの様な位置付けですか?
また、良い出会いに巡り会う人と、そうでない人との違いは何でしょうか?
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Name: 巳朱
Date: 2009/03/27(金) 00:43
No:2340
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Title: Re:人との巡り会い
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人にしても、物事にしても、その時々の関係性を仏教では、縁起の法であらわしています。
「因 縁 果 報」ですね。
「それぞれの持つ因が縁を生じさせ、巡り会い。巡り会った事で果となり次の因の元となる報を生じさせる」 この循環を延々と続けているのがこの世界の有様です。
縁に良い、悪いの絶対的な基準はなくて、Aに比べればBは良い(悪い)という相対的なものです。
ですから本来巡り会いに良し悪しはありません。 心の持ち様でどの縁も良く感じたり、悪く感じたりするものです。
その巡り会いから何かを得れば、人はよい巡り会いだったと感じ、そうでなければ悪い巡り会いだと感じるのです。
良い巡り会いが多いと思える人は、その巡り会いで学びを得た人です。 悪い巡り会いばかりだと思う人は、その巡り会いから何も学ぼうとしなかった人です。
ですから、良い巡り会いを望むのであれば、その時々の巡り会いからなんでもいいから学びを得ようとする姿勢でいればいいんです。
人生楽な事ばかりではなく、浮き沈みはつきものですが、浮いている時も沈んでいる時も何か学ぶ事があるものです。
人生は一生、智慧を学び続ける時間なんですね。
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Name: KRY
Date: 2009/03/23(月) 01:44
No:2328
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Title: 手元供養
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はじめまして。 私の実家のことなのですが、神道なのですが、こちらで何か助言を頂ければと 相談させていただきます。 先日、弟が、生後4ヶ月の娘を遺して27歳の若さで亡くなりました。 急なことでしたので、両親もお嫁さんも気丈に振る舞ってはおりますが、 弔問客が少なくなり、おおきな遺骨をお墓におさめたあと、 悲しみや寂しさが押し寄せてくるのではないかと思っています。 (私がまだ心が麻痺しているようなので、ほかの家族もそうなのではと・・・)
そこで、遺骨ペンダントというものをインターネットで知ったのです。 弟がお墓に入ったあとでも、いつでもずっとそばにいてくれたら、 両親もお嫁さんも少しは癒されるのではないかと。 話してみて、もしみんなが望むのなら、家族のぶんを購入しようかと 思っています。 ただ、本来お墓にいれるべきものを、少しづつ取って、家族それぞれが 持っているということが、いいことなのかがわかりません。 それによって弟が成仏できなかったり、あの世でつま先が少し欠けてる、 などということになりはしないでしょうか。 販売サイトは山ほどあり、どのサイトにも「手元供養は悪いことではない」 と書いてあるのですが、先方はご商売ですからそう仰るだろう、と 穿った見方をしてしまいます。
畑違いの相談で恐縮ですが、私の実家はたまたま先祖が神道にしたという だけで、とくに宗教にこだわりはありません。 (こういう言い方は宗教家の皆様に失礼でしょうか、すみません) ただ、弟のこれからの魂が安らかであり、遺された私の家族の気持ちが 少しでも楽になれば、そして弟とともに前に向かうことができれば、 どの宗教のしきたりで弔っても構わないのです。
失礼な質問の仕方かもしれません。申し訳ございませんが、ご回答を頂ければ 幸いです。 よろしくお願い致します。
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Name: 浄徳寺隆胤 [URL]
Date: 2009/03/23(月) 07:38
No:2330
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Title: Re:手元供養
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これは僧侶や神職の各人の考え方により答えは違ってくるものと思います。よってここでの意見を参考になされてお考えになってください。 他の僧侶の方々のご意見もお聞かせいただきたくお願い申します。
お亡くなりになられた故人は遺された家族のことを思います。 遺された家族も早く立ち直る方もおられれば、何年も引きずってしまう方もおられるのも確かです。お墓に納め、土にかえしてあげるのが本来の姿です。しかし、立ち直れないということになれば、しばらく遺骨の一部を頂いて、手元に置くというのも、遺された家族が立ち直れる手段であれば、それもよいのではないかというのが私の考えです。本来は土にかえさなければならないのですから、立ち直るめどがつきましたら、本来の場所に必ず納めてください。 以上80を越える老いぼれ僧侶の考えです。
陽明山浄徳寺 山主 近衞隆胤
合掌
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Name: 天台沙門
Date: 2009/03/23(月) 08:55
No:2331
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Title: Re:手元供養
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まずはお悔やみ申し上げます。
「若くして死ぬ」や「事故で死ぬ」ということを、宗教学や民俗学では「横死=異常死」といいます。日本では、古来から異常死をした死者は手厚く弔うべきとされてきました。古代的感情では、そうしないと「祟る」のですが、現代的理性では「受け容れがたい突発的な死」というわけです。手厚く弔わなければ、生きている人間はその「死」を受け容れたり乗り超えたりできないのですね。 宗教儀礼というものは意外と合理的なものです。
>>本来お墓にいれるべきものを、少しづつ取って、家族それぞれが持っているということ > いわゆる「分骨」という作法です。仏教的には、釈尊ご自身の葬儀に際し「火葬」と「分骨」がなされておりますので、問題ない方法と考えます。「骨は一緒にしておかねばならない」という意識は、人類に普遍の「骨が欠けていると(この世またはあの世に)再生できない」という感情に根ざすものでしょう。 死者が「千の風」になったり「草葉の陰」から見守ってくれるという感覚、つまり死者を身近に感じるために、分骨した遺骨を身につけているという方法は形見の品を愛用する気分と一緒ではないでしょうか。 宗教者が分骨や手元供養をおおっぴらに勧めないのも、業者さんが手元供養の正当性を主張できないのも、遺骨が分散すると生まれ変わりに差し支えが出るという原始的感情を捨てきれないからです。 (註:業者主導の「手元供養」は、死者は死者の場に祀り籠めておかないといけないという民俗的宗教意識を、どうしても乗り超えられない。)
>>弟のこれからの魂が安らかであり、遺された私の家族の気持ちが少しでも楽になれば、そして弟とともに前に向かうことができれば、どの宗教のしきたりで弔っても構わないのです。 > まったくもって、そのとおりだと考えます。
葬祭儀礼というものは、死者のためにやっているようですが、実際は生者のために行っているものです。人がよく知っている人の死に遭ってしまった時に感じる、悲しい・辛い・寂しいといった気持ちをなんとかしていくため、人類は葬祭儀礼というものをそれぞれの文化のなかで経験的に作り上げてきました。だいたい、死者の鎮魂と生者の鎮魂とを分けて考えること自体、不自然でしょう。 死との邂逅やら不治の病の宣告やらを、心理学的には「喪失体験」というそうですが、これの回復には「共通の体験をした人々(および共感者)との連帯」と「絶対的な時間の経過」が必要だそうです。 葬祭儀式に参加するということは、参加者が互いに「悲しいのは自分だけではない」と感じることで、より悲しい人を支えてあげようとか、自分の人生をきっちり生きていこうという気分になることです。これは「共感者との連帯」ということですね。 また、五十日祭・一年祭・二年祭(ですか?)などの定期的な祭祀は「時間の経過」に折り目をつけるということです。いわゆる通夜・葬儀だけで、喪失体験からの回復ができるはずもなく、まる2年くらいかけて故人のいらっしゃらない娑婆世界にゆっくりと「慣れて」いくしかないと考えます。
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Name: KRY
Date: 2009/03/24(火) 21:29
No:2335
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Title: Re:手元供養
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早速のご回答ありがとうございます。
やはり、本来は土に還すべきなんですね。 できれば、姪が大きくなるまでとか、両親が弟のもとに行くまでずっと私たち家族のそばにいてくれればと思ったのですが、そういうわけにもいかないようですね。 遺骨は弟そのものではない。遺骨を土に還しても、手元に持っていても、「弟が見ていてくれる」と思うことはできる。 頭ではそう思うのですが、今は寂しいから、弟が少しでもそばにいてくれるという選択肢にすがってしまうのだと思います。 もうすぐ50日祭なのですが、母がお墓をきれいに作り直してから納骨したいというので、遺骨はお盆の頃まで実家に置く予定でいます。少し時間があるので、それまでみんなの気持ちを見て、どうしても諦められないようなら、 「気持ちが落ち着くまで、指先くらい借りようか」 と言ってみようかと思います。
浄徳寺隆胤様 80歳を過ぎていらっしゃるとは、心強い限りです。 私は30近くなって初めて家族を亡くしたので、こういうことに関しては儀式のいろはも自分の感情も家族のこれからもわからないことだらけですが、私の何倍も、生死を見て儀式を行って来た大先輩にお話を頂けるとは。 どうもありがとうございます。
天台沙門様 >>弟のこれからの魂が安らかであり、遺された私の家族の気持ちが少しでも楽になれば、そして弟とともに前に向かうことができれば、どの宗教のしきたりで弔っても構わないのです。 >まったくもって、そのとおりだと考えます。 書き込んだあとに、やはり失礼だったと思ったのですが、そう仰っていただけると有り難いです。 仏様でもイエス様でも神様でも、そちらに行ってしまった私の弟をどうかどうかよろしくお願いします、という気持ちです。こういう罰当たりかもしれない気持ちを、僧侶の方が肯定して下さると少し楽になります。 どうもありがとうございます。
ところで、甘えついでにもう一つお伺いしてよろしいでしょうか。 分骨の際、儀式などはあるのでしょうか。 「ごめんね、もう少し一緒にいてね」 と言って、合掌するくらいで骨箱からかけらを取り出してしまっていいものか、それともきちんと宮司様にお願いしなくてはいけないのか。
いろいろとおすがりして申し訳ありません。 少しの間なら弟に甘えてしまっても駄目というわけではない、ということでお二方で共通して仰っているようですので、少し安心です。 人の死に接して生きておられる複数の方のご意見を頂戴できて心強いです。 よろしくお願い致します。
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Name: 天台沙門
Date: 2009/03/26(木) 17:55
No:2338
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Title: Re:手元供養
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>>分骨の際、儀式などはあるのでしょうか。 > 私はとりたてての儀式は行っておりませんが、集骨時の儀式を援用する形で行います。それなりの形式を整えて、分骨の法要をなさる方がいらっしゃる可能性は大いにあるでしょう。
>>きちんと宮司様にお願いしなくてはいけないのか。 > 神道さんが分骨や遺骨の一部を埋葬しないということについて、どういった宗教的解釈をなさるのかが不明ですので、祭礼を司っていただく神職さんに事の是非をうかがっておかれるのが一番でしょう。
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