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Name: カタツムリ
Date: 2008/06/23(月) 11:39
No:846
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Title: 大日如来さまについて
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大日如来さまには金剛界と胎蔵界の大日如来さまがおられますが、どちらが偉いのですか? どうして二人の大日如来さまがおられるのですか? 教えてください。
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Name: 巳朱
Date: 2008/06/23(月) 22:08
No:847
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Title: Re:大日如来さまについて
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どっちも一緒ですよ。
ただ、教えを説くための方便として、金剛界の大日如来さまと胎蔵界の大日如来さまに描き分けられ、それぞれ智慧(金剛界)理(胎蔵界)の象徴としています。
この世の中は、実は全て大日如来さまのあらわれなのですが、人は色々に区別したがるので、いったん分けて説明し、その後、実はどれも同じなのだと気付かせる。 仏教の理論構造は、そうなっているんですよ。
乱暴に要約するとですね。違うと信じていたものが実は同じことだと気が付くこと、それが悟りなんですわ。
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Name: カタツムリ
Date: 2008/06/24(火) 00:47
No:848
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Title: Re:大日如来さまについて
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巳朱さまありがとうございます。 どちらが金剛界と胎蔵界かわからないので教えてもらえますか? また、どちらの大日如来さまが代表的なのですか?
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Name: 巳朱
Date: 2008/06/24(火) 00:56
No:849
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Title: Re:大日如来さまについて
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四角が何重にも入れ子になってるのが胎蔵界、画面を縦横3×3の升目に区切ってあるのが金剛界。 いろんな説がありますが、胎蔵界曼荼羅は、シュミセンという仏様がいる山を上から俯瞰で見た絵なんだって。 で、金剛界曼荼羅は、仏様の受け持つ9つの教室みたいなものを書いた絵なんだって。
これは、2つでワンセットなんですよ。だから、どちらが有名とか代表的って無いんです。
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Name: カタツムリ
Date: 2008/06/24(火) 20:03
No:850
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Title: Re:大日如来さまについて
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金剛界はチエ、胎蔵界は理を象徴されておられるとのことですが、詳しく教えていただけないでしょうか?
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Name: 巳朱
Date: 2008/06/24(火) 22:27
No:851
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Title: Re:大日如来さまについて
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ここで聞くより、ネットで検索しましょう。
「両界曼荼羅 大日如来」なんてのを検索ワードに入れると色々出てくるよ。
で、何のために知りたいの? 大日如来の何が知りたいの? 単に興味があるというだけでは、あまりにも幅が広すぎてどこからどう話せばいいかわかんないです。
そう言う所を絞ってもらえると、私が知っている範囲でお答えもできますが?
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Name: カタツムリ
Date: 2008/06/25(水) 11:20
No:852
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Title: Re:大日如来さまについて
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お寺参りをしたときに、お寺の方、大日如来は2人おられると教えてくださって、自分なりにいろいろ調べましたが、難しすぎて、意味がわからないので、お尋ねしたしだいです。
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Name: 巳朱
Date: 2008/06/25(水) 23:24
No:859
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Title: Re:大日如来さまについて
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確かにね、検索して出てくる解説てのも結構難しい言葉で書いてあったりするね。 でもさ、丸投げで教えてくれって言われても、どれぐらい簡単に噛み砕いて言えばいいのか、どこから話をしたらいいのかわからないよ。
聴き方を工夫してみよう。
例えば「こういう文献を読んだのだけど、このくだりがどういう意味なのかよくわからない」とか「○○ってどういう意味?どんな状態の事?」とかさ。
両界曼荼羅が何をあらわしているかと言えば、お釈迦様の教えってやつです。 きっとこの絵を考えついて描いた人は、お釈迦様の教えが全部わかっていたんだろうね。
そして大日如来様を一言でいうなら「全は一、一は全」です。 大日如来様の性質というか本質というか真理というか、そういうものを説明するために金剛界、胎蔵界と2つのパターンの大日如来様が描かれていますけれど、その本体は1つです。ただ、私達がTPOによって服装を変えるように、たくさんある仏の教えのどれを示しているかによって、お姿が変わっているだけです。
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Name: カタツムリ
Date: 2008/06/27(金) 02:15
No:861
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Title: Re:大日如来さまについて
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巳朱さまありがとうございました。
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Name: ヘビイチゴ
Date: 2008/05/25(日) 18:17
No:671
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Title: 初盆について
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今年4月に義父が他界しました。 葬儀は夫が喪主で無宗派葬で行い、 納骨は夫の兄が遠方にある先祖代々の墓で 納骨式を行い埋葬いたしました。 (義父は再婚しており、兄は前妻の子で遠方にいます。)
今後は位牌と仏壇を夫でもち、 墓守とお寺(日蓮宗)とのやりとりを義兄がすることになります。
今年初盆となるのですがそれにあたってご相談です。
・仏壇をまだ用意できていませんが、初盆までに必要でしょうか? (金銭面で困難なため、1周忌までにと考えています) ・また、初盆にあたって何をすればいいのでしょうか? ・うちと遠方の兄と2箇所で供養する際の注意点はありますか?
お恥ずかしながら何をどうしていいのか、 何を質問していいのかもわからない状態なので 良いアドバイスをいただければ幸いです。 よろしくお願いいたします。
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Name: 天台沙門
Date: 2008/06/25(水) 17:39
No:857
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Title: Re:初盆について
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大前提として、お盆の風習は宗派宗旨の違いよりも地域性のほうが色濃く出るということを念頭においてください。したがって、現在お住まいの地域の風習と義兄さんのいらっしゃる「遠方」の風習とでは、同じ日蓮宗であっても異なる可能性があります。また、以下の文言は私が預かっている寺(天台宗)の地域性と私の思想信条に基づく「特殊」なものであることにもご留意ください。
・仏壇をまだ用意できていませんが、初盆までに必要でしょうか? ←例の仰々しい仏壇という意味でしたら別に必要ではありません。本尊さんやらお位牌やらをご安置する「神聖な場所」をご自宅のどこかに設えてください。それで充分です。
・また、初盆にあたって何をすればいいのでしょうか? ←通常の盆供養の支度と大差ありません。私の預かっている寺での特別なことといえば、盆の施餓鬼会の供物米を角袋と称するサラシで作った三角の袋にしてもらってます。 一般論としては、7月13日に墓参をして白提灯を飾り、帰宅時に迎え火を焚きます。16日には法要に参列して墓参をしてもらい、帰宅時に送り火をします。ただし16日に送り火をしてから墓参が論理的でしょうね。 お宅での大事なことは仏壇の中の位牌を仏壇の外に出すということです。仏壇の中は「あの世」で仏壇の外は「この世」です。お盆の期間は「あの世」から「この世」にご先祖さんが帰って来るわけですから、その気分を明らかにするために位牌を「この世」側に置いてください。
・うちと遠方の兄と2箇所で供養する際の注意点はありますか? ←強いていえば時期の調整があります。おおむね盆は7月と8月とに大別されていますから、お住まいの地域によって期間が異なっている可能性があります。つまり、お墓側にあわせて1回にしてしまうのか、それぞれの住まいの風習にあわせて2回にするのか、という問題ですね。こればっかりは(お宅の盆棚の飾り付けも含め)お兄さまとご相談ください。 なお同時に復数箇所でお祀りしても問題ありません。なぜなら同時に異なる場所に存在できないのは生身の肉体をもつための制約にすぎず、神霊は時間も空間も超越できるに違いないからです。
とはいえ守るべき基本は、先祖代々のお墓のあるお寺の住職さんの見解です。以上は「ネットで天台のボーズがこんなこと言ってましたが本当のところはどうですか?」ていどの比較物としてください。
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Name: taka
Date: 2008/06/20(金) 17:56
No:834
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Title: 新生児死の供養について
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生後1時間もせず先天性の病気により長男を亡くしました。 自宅は関東、夫の実家は東北です。 夫は本家の長男です。 埋葬は夫の実家の菩提寺にします。
私は夫の母から出産後に心無い言葉をたくさん聞かされ精神的に参っており、いまは会う気持ちが持てないので、少し距離を置きたいと思っています。せめて一周忌には気持ちを落ち着かせて夫の実家へ行って埋葬をしたいと考えているのですが、夫は四十九日には埋葬しないと子供がかわいそうだと言います。 こういうところで言うのはおかしいかも知れませんが、私は「千の風」ではないけれど、魂はいつも私たちの近くに居ると考えお墓にはこだわっていません。供養は亡くなった子供を思う気持ちだと考えています。ただ、2人の子供ですので夫の気持ちも尊重したいと思っています。
葬儀は執り行っておりません。 自宅に親しい方々をお呼びして「お別れ会」と称してお線香を上げてもらいました。七日おきに家族でお経を読んでいます。 夫は菩提寺の和尚さんにお経を上げてもらわないと成仏できないと言います。だから四十九日には埋葬とお経を上げてもらわないとと言います。私が行けないのであれば一人で行くと言い、私としては気持ちの整理がつかない今、子供だけを連れて行かないで欲しいと言いました。すると夫が、菩提寺の和尚さんに聞いて一周忌でもいいといわれたらそうする。と言いました。
死産、流産の場合は水子とされるようですが、うち子供の場合はどうなりますか。0歳児は戒名をつけないと聞いたことがありますが、0歳児の出生後の死亡についての仏教の考え方を教えてください。できれば出生届で命名した名前を残したいと思っています。
一周忌まで埋葬をしないのはいけないことなのでしょうか。 私さえがまんして四十九日に無理しても実家へ行くべきでしょうか。供養のなかには残されたものの心の整理も含まれるのではないかと思うのですが違いますか。
菩提寺の和尚さんの支持は絶対なんでしょうか。
以上、よろしくお願いいたします。
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Name: 勝運寺山主 [URL]
Date: 2008/06/20(金) 21:11
No:836
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Title: Re:新生児死の供養について
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taka さんへ
お気持ちをお察し申し上げると共にお子様が無事成仏されます事を心よりお祈り申し上げます。
義母のいった言葉は気に留めないで下さい。義母もそれなりの期待をしていたからこそ自分の気持ちを裏切られたと言う気持ちと区切りを付けなければと言う気持ちから出てきた言葉だと思いますよ。 悪く取らないであげてください。
この世にほんの少しでも生を受けたのであれば水子では有りません この様な場合は孩子(かいし)と言います。意味は乳飲み子と言う意味です。
納骨については菩提寺や実家の問題ではなくあなたとご主人の問題です。あわてなくて良いですよ。気持ちが落ち着くまで遺骨を置いておかれるのも一つの方法です。
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Name: 天台沙門
Date: 2008/06/25(水) 13:42
No:854
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Title: Re:新生児死の供養について
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お悔やみ申し上げます。
>夫は四十九日には埋葬しないと子供がかわいそうだと言います。 →この考えも理解できなくはないですね。キーワードは「象徴的行為」です。 (1)死者は往くべき世界があり、墓所に納めるということは往くべき場所に送り出してあげるという象徴的行為ですから、埋葬してあげないとお子さんが往くべき場所に往くことができなくて「かわいそう」なのでしょう。 (2)「埋める」という行為は「死者を忘れる」という象徴的行為です。死者を忘れることによって生者は「死者の死を乗り超える」または「死者の死を受け容れる」ことができるならば、死者の死を忘れられない生者である妻はいつまでも子の死にとらわれつづけることになります。生きている妻にとらわれている子は死ぬことができず、やはり「かわいそう」なのでしょう。 ひらたく言って「約2ヶ月にわたり毎週法要を行って(ない場合が多いが)、悲しい気持ち・辛い気持ち・寂しい気持ちもなんとか落ち着いたから、気持ちの区切りとして骨を納めよう」というのが世間一般の暗黙の了解です。ただし、こういった自覚のない埋葬は「儀式」ではなく「形式」にすぎません、と批判的なことも言っておきます。
>こういうところで言うのはおかしいかも知れませんが、私は「千の風」ではないけれど、魂はいつも私たちの近くに居ると考えお墓にはこだわっていません。 →昔は「故人は草葉の陰で我々を見守っていてくださる」と表現していました。「千風」と同じことです。ところで、埋葬という行為は「死者を忘れる」という象徴的行為ですが、埋葬の跡には石を置きます。石はほぼ不滅の存在ですから生者は石を見るたびに石の下にいる死者のことを思い出します。墓石は「死者を忘れない」ための象徴です。
>死産、流産の場合は水子とされるようですが、うち子供の場合はどうなりますか。できれば出生届で命名した名前を残したいと思っています。 →天台宗でも、勝運寺さんのおっしゃる通り「○○孩子」または「○○孩児」です。 →戒名/法名の決定権は住職にあるので、住職さんにご相談ください、としかいえません。ちなみに、戒名/法名に俗名を残すという立場の僧侶と、残すべきではないという立場の僧侶がいるということはお伝えしておきます。
>0歳児の出生後の死亡についての仏教の考え方を教えてください。 →原則論として「人の死は、嫌な現実・受け容れがたい現実であるが、しかし現実は現実として受け容れるしかない」と、いうものが仏教の中の天台宗というセクトの理解です。 誤解なさらないでいただきたいのですが、いついつまでに受け容れよ、という時間制限は一切ありません。おそらく子どもに先立たれた親は自身の死を迎えるまで子どもの死を受け容れることはできないでしょう。死を現実として理解することは簡単ですが、納得することは困難な作業です。その困難さをも人生の一部として「善く生きる」ことが天台宗の理解です。
こんな場合の月並みな譬え話をふたつ。
子どもを喪った母が釈尊に願った。「この子を生き返らせてください」 釈尊は答えた。「そのための祈祷にはこれこれの供物が必要だ。ただし死者を独りも出したことのない家からもらってきなさい」 (これこれの供物、とは台所に普通にある食物です。) 母親は街中の家を訪ね歩いた。供物となる物はあったが、死者を出したことのない家は一軒もなかった。 子どもを喪った母は戻って釈尊に答えた。「大切な者を喪って悲しんでいる者は私だけではありませんでした」
賽の河原で石を積んでいる子どもたちのところに鬼がやってきて積んだばかりの石の塔を壊していく。 「ぼくらはお母さんお父さんのために積んでいるのに、どうして壊すの?」 鬼は答える。 「その父母が、お前らのために夜ごと日ごとに泣き悲しんでいるからだ」 子どもたちを助けてくれるのはご存知お地蔵さん。
>一周忌まで埋葬をしないのはいけないことなのでしょうか。 →そんなことはありません。ただし「埋葬許可書」の管理だけはきっちりとしておいてください。
>供養のなかには残されたものの心の整理も含まれるのではないかと思うのですが違いますか。 →違いません。供養=葬儀の目的は「魂を鎮めること」にあります。原始的感情からすると「死者の魂が祟らないよう鎮めること」が目的の反面にあり、近代的理性からすると「生者の魂が死を受け容れ乗り超えられるよう鎮めること」が目的の反面にあると理解できます。前者の「祟り」だとて所詮は生者の認識によるものです。もしかしたら自分の責任かもしれないのに責任を死者に押しつけるためのいいわけが「祟り」なのですから。つまり、後者の目的こそが供養=葬儀の本質にあるということです。
>夫は菩提寺の和尚さんにお経を上げてもらわないと成仏できないと言います。 >菩提寺の和尚さんの支持は絶対なんでしょうか。 →法律論に踏み込むと「菩提寺の住職が葬儀を執り行っていない場合、その寺の住職は寺の墓地に納めることを拒否できる」というレベルの問題はありますが、成仏うんぬんは言い過ぎでしょう。日本の仏教には「普通の人間は成仏などできるわけがない。弥陀の本願によって往生できるだけだ」という過激な思想もあるくらいですから。 →したがって、お子さんのご遺骨を菩提寺の墓所に納める、という件に関しては「絶対」といわざるをえません。ともあれ、お盆を機に戒名やら納骨の時期について菩提寺のご住職とご相談ください。
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Name: taka
Date: 2008/06/25(水) 15:09
No:855
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Title: Re:新生児死の供養について
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勝運寺山主 様
ありがとうございました。 菩提寺の和尚さんは、勝運寺山主様と同様な考えでした。
もう一度夫に義父母に連絡をとって確認してもらいました。 菩提寺の和尚さんは 「奥さん(私)の気持ちが落ち着いたところで 埋葬の時期を決めればいいです。」 といわれているそうです。
四十九日かそれより早くと言っていたのは義父母だけ だったらしく、夫が私の希望を義父母に伝えてくれて 和尚さんの言うように私の気持ちが落ち着いてからで いいと了承を得たそうです。
法名については「命名した名前に数文字足す形をとりたい。」 と和尚さんに相談すればいいということでこちらも 了承を得ました。
私達と義父母の考えの違いが原因だったようです。 一周忌までは手元に置き、一周忌に埋葬するという考えで まとまりました。
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Name: taka
Date: 2008/06/25(水) 15:36
No:856
| 解決
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Title: Re:新生児死の供養について
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天台沙門 様
ありがとうございます。 私の実家には父のお墓がありますが仏教です。しかし仏教の教えはまったくと言っていいほど知りません。勉強になりました。 その中でも「象徴的行為」「近代的理性」と言う考えもあるんですね。そして宗派の違いで考え方や儀式の違いも多少あるのですね。
私は4年前にもう一人妊娠初期に亡くしていて、その時に 「賽の河原で石を積んでいる子どもたちのところに鬼がやってきて積んだばかりの石の塔を壊していく。子どもたちを助けてくれるのはお地蔵さん。」 この話は聞いたことがあります。 子供が積んだ石を崩すなんて想像しただけでも涙が出てしまいそうなくらいかわいそうでたまりません。そう考えると、私のようなものではこれも形式に過ぎないかもしれませんが、せめてお地蔵様には手を合わせたいと思います。
夫の実家では7日おきに和尚さんに来ていただいてお経を上げてもらいます。だからそれをしていないのは「かわいそう」と夫が言うのは「儀式」として捉えているからなのでしょうね。
夫が義父母に私の希望を伝えてくれました。 埋葬を早めにと言っていたのは義父母の考えで、和尚さんは私の気持ちが落ち着いた時点で考えればよいと言ってくれているそうです。 法名については「命名した名前に数文字足す形で和尚さんに相談すればいい。」と義父母が了解してくれました。
昨晩、夫からこの話があり、一周忌に埋葬と家族で法要を行い、法名は名前を残す形でということで決まりました。 今日で息子がなくなってからちょうど一ヶ月です。 区切りの日の前日にこのように話がまとまってよかったです。
ありがとうございました。
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Name: あい
Date: 2008/06/18(水) 12:24
No:809
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Title: 教えて下さい
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浄土宗のお寺に父、母、弟の墓があり、仏壇も家にあり、私が供養しております。夫は二男ですが夫の兄夫婦は娘2人なので、うちの長男に夫の実家の墓を継ぐように、夫の兄、夫に言われています。先の話ですが兄夫婦のお葬式もうちの長男がだすよう言われました。兄夫婦には娘が2人おり、うちの長男が葬式をだすのは違うと思うのですが。また、夫の実家の墓にに兄夫婦が入り、私たち夫婦も入るというのは当たり前の事なのでしょうか。夫の実家のお寺は義兄に子供がないわけではないのでの娘が継ぎ、先の事はその娘の代で考えたらよいのではと思うのですが。また、私の実家の墓は長男に継いでもらえたらと思っていますが、私の身勝手でしょうか? もしかなわないのであれば、長男にふたつのお墓を管理してもらうのは大変だと思いますし、父母弟だけでは寂しいと思うので私も天寿を全うしたら実家の墓に入り、私の生命保険で永代供養をしてもらい長男に負担をかけたくないと思っています。判らないことばかりなので、皆様のご意見をお聞かせ願えればと思います。
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Name: 勝運寺山主 [URL]
Date: 2008/06/20(金) 07:22
No:824
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Title: Re:教えて下さい
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あい様へ
間違った行為を下記に羅列しておきます。
1、夫の兄夫婦は娘2人なので、うちの長男に夫の実家の墓を継ぐ ように 回答:どなたが後を継いでも差し支えは有りません。 良く相談して決めてください。
2、先の話ですが兄夫婦のお葬式もうちの長男がだすよう言われました。兄夫婦には娘が2人おり、うちの長男が葬式をだすのは違うと思うのですが。 回答:まさにその通りです。娘さんたちにはお兄さん夫婦は財産分与はされずあなたの息子さんにすべてを託されるのであれば別の話になります。
3、夫の実家の墓にに兄夫婦が入り、私たち夫婦も入るというのは 当たり前の事なのでしょうか。 回答:あなたの家庭は分家ですから同じ墓に入らなければいけないと言うことは有りません。別に墓を作られてもおかしく有りません。
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Name: あい
Date: 2008/06/20(金) 21:58
No:838
| 解決
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Title: Re:教えて下さい
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勝運寺山主様 この事は、先送りにしておりましたが、いつも心にひっかかっておりました。回答ありがとうございました。
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Name: ノア
Date: 2008/06/20(金) 17:27
No:832
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Title: お寺とお付き合いをしたいのですが。
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私の家は訳あって親戚付き合いがなく、また祖父母は県外に在住していたせいもあり、宗派もお墓もわからない状態でした。 もともと信仰心はあったのですが、はっきりとしたものではありませんでした。それで独学でいろいろな書物や経典の訳文等を読んで 真言宗を信仰していくことに決めました。お仏壇も小さいですが 買い勤行も行っていますが、未だにお寺との付き合いがありません。近くには3件の真言宗の寺院がありますが、どうやって選び どうお話をすればよいのかわかりません。 仏像のお性根入れもまだなので迷っています。 できれば僧侶の方教えて頂けないでしょうか。
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Name: 近藤
Date: 2008/06/20(金) 12:30
No:826
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Title: 不祝儀袋の書き方について
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教えてください。お悔やみに行くとき、また法事に呼ばれたときの、不祝儀袋の書き方で、「御悔」「御霊前」「御仏前」など色々な書き方がありますが、どのように使い分けたらよろしいのでしょうか?また意味を教えてください。
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Name: 勝運寺山主 [URL]
Date: 2008/06/20(金) 16:40
No:831
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Title: Re:不祝儀袋の書き方について
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近藤様 不祝儀袋の書き方についてですが 葬儀では、「御霊前」を使います。「御仏前」は使わないで下さい。葬儀以外の仏事には「御仏前」「御花料」「御菓子料」などを使います。「御悔」は本来使わない方が良いです。
御霊前:(ごれいぜん)御霊の前にお供えをすると言う意味です。
御仏前:(ごぶつぜん)仏様の前にお供えをすると言う意味です。
お花料:仏様に備えるお花の代わり。
お菓子料:仏様に備えるお菓子の代わり。
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Name: 近藤
Date: 2008/06/20(金) 17:28
No:833
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Title: Re:不祝儀袋の書き方について
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勝運寺山主様お返事ありがとうございます。 御霊前、御仏前の使い分け、その他の書き方についてわかりやすく、教えていただきありがとうございます。
重ねての質問お願いしたいのですが、 「御悔」はなぜ使わない方が、良いのですか?教えてください。お願いします。
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Name: 勝運寺山主 [URL]
Date: 2008/06/20(金) 20:49
No:835
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Title: Re:不祝儀袋の書き方について
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近藤様
御悔は思いをこの世に残す事になる為望ましくないのです。 亡者の成仏の妨げになりますし本来は亡者を侮辱した意味「悔やむとは現世に心を残す」と言う意味なのです。故にふさわしくないのです。なぜかこの言葉を使われる方が昨今は多いようですが内容が判れば怖くて使えないようになります。漢字は良く本質を表しています。世間の常識は本来非常識と言う事が多く有ります。きお付けてください。世間の常識の多くは略儀であるため正式には非常識に為る事がおおくあります。
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Name: やくろと
Date: 2008/06/17(火) 22:25
No:804
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Title: 葬儀について
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教えていただきたいのですが、昔は葬儀を夕方(午後三時あたり)に行っていたと、実家のおばあさんが話していました。 午前中に行ったりしなかったと聞きました。 どうしてか意味を聞いても、わからないようで、ご存じある方、教えていただけないでしょうか? 夕方に葬儀を行う意味と、午前中に葬儀を行わない意味を知りたいです。よろしくお願いします。
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Name: 尊明 [URL]
Date: 2008/06/19(木) 05:37
No:813
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Title: Re:葬儀について
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火葬の技術的問題があったと考えられます。 夕方から荼毘に付し、翌朝拾骨される。 次に、仕事の問題もあった事でしょう。 農家であれば、収穫期の多忙な時期など、昼を避けて、夜に荼毘に付した。 霊的な宗教的な意義は少ないように考えます。
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Name: 勝運寺山主 [URL]
Date: 2008/06/20(金) 06:48
No:820
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Title: Re:葬儀について
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やくろと様へ 昔は葬儀を夕方(午後三時あたり)に行っていた理由ですが 僧侶の間では午後3時は(初夜)御前3時は(後夜) 御前8時(日中)と申します。 仏事を始めるのは初夜から始め日中に終わる様にと言われています。この三回の行を一座として数えます。 ゆえに葬儀は本来午後3時より始め翌朝午前8時に終わるのが本当の葬儀のやりかたです。葬儀式は一座法要ですので本来はこの様になります。 お判りいただけましたでしょうか。
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Name: やくろと
Date: 2008/06/20(金) 12:32
No:827
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Title: Re:葬儀について
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尊明様、勝運寺山主様、わかりやすく、詳しく教えていただき、ありがとうございました。
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Name: のぶりん
Date: 2008/06/19(木) 16:39
No:816
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Title: 争いは避けたい
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初めて投稿致します、ご意見頂ければ幸いです。
3歳の娘が一人のシングルマザー、現在付き合っている彼は次男(異母兄姉がいます)、貸家住まいですが亡くなられたご両親の仏壇があります。結婚したいのですが私の両親兄弟は反対、次男で仏壇を守っているのは良くない、母親が違っても兄が守るべき、お金もかかるしもし彼が亡くなった場合彼の実子ではない子(私の娘)が継ぐのも良くないと。
亡くなった際に誰がご先祖様を守っていくか等の話合い時に誰も名乗り出なかったため彼が名乗り出たようです。一般常識としては長男である兄が守るべきでしょうが兄の奥様がそれには大反対だったと。(彼と兄嫁とは仲が良くありません)
筋としてはどうするべきなのでしょうか? 彼は兄が守ってくれるのかどうか頼んでみるとは言っていますが、 仏様を返すような行為はしても良いのでしょうか?
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Name: 巳朱
Date: 2008/06/19(木) 21:18
No:817
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Title: Re:争いは避けたい
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のぶりんさん
ご両親やご兄弟のおっしゃる「次男で仏壇を守っているのは良くない」の根拠をお聞きなさいな。 きっと、論理的な説明など誰もできないから。
墓守をしたり、先祖供養を引き継ぐことを「祭祀の継承」って言うんですがね。これは本当は長男って決まっている訳じゃない。鄢ゆかりのある人、誰が継いでもいいものなんですよ。 それが何故「長男が継ぐもの」になっているかと言えば、大抵家督は長男が継ぎ、家屋敷などの不動産のほとんどを長男が継ぐからです。
祭祀を継承するとね、お寺さんとのお付き合いにお金もかかるし、法事も続けていかないとならない。手間もかかる。 それは、ある意味結構面倒なことなのよ。だから、本音を言えば誰も進んで祭祀継承なんてしたくない。 だからこそ、家屋敷、不動産など大きなものを継ぐ長男が引き受けます。 言っちゃうと、他の兄弟よりも遺産を多めに貰う代わりに、祭祀というちょっと面倒なことも引き受けるという、他の兄弟の嫉妬をかわす手なのよ。 それがいつの間にか「祭祀の継承も長男の義務」と言われるようになり、長男以外のものが長男に祭祀を押し付ける方便として「次男で仏壇を守っているのは良くない」なんて言われるようになったんです。
のぶりんさんの彼は、やさしいいい人だね。 きっと、ご両親が亡くなって他の兄弟が誰も祭祀継承したくないとごねたから、先祖供養をしないのはいくらなんでもかわいそう。とお仏壇を引き取ることにしたんだね。 そういう思い遣りのある人となら幸せになれる可能性も高くなるよ。
一般常識がどうして一般常識になったのかもわからずにごねる人よりも、彼を大切にしなさいな。
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Name: 勝運寺山主 [URL]
Date: 2008/06/20(金) 07:01
No:821
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Title: Re:争いは避けたい
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のぶりんさん
貴女の彼はやさしい人ですね。仏壇がどうのこうのこんな話は気にしないで良いです。本来先祖を敬う事は常識であったはずなのに 訳の解らない世間の常識と言われるご都合主義により疎まれ消えつつ有ります。いつまでも敬う心を持ち生活なさると必ず良い結果が生まれてきます。気にしないでよいです。 貴女の幸せを掴んでください。
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Name: のぶりん
Date: 2008/06/20(金) 11:53
No:825
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Title: Re:争いは避けたい
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返信ありがとうございます。
皆様の言葉に本当に救われます。 コメントをお守りのように持って歩きたい位、ほっとさせられます。両親たちに見せたいですね。
最近までテレビ等で活躍されていた方の番組を両親は欠かさず見ておりかなりその方の言動に納得していたようです、その方の意見の一つに長男が・・・等の言葉があったようで、そうしなければどこかの代に影響があるとか。
ご先祖を敬う気持ちが皆にあれば争いなんて起こらないのに、時々本当に人の欲(自分も含め)というものが嫌になります。
両親を説得するのは難しいですが彼の優しさを理解してもらえるよう頑張っていきます、ありがとうございました。
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Name: ぷー
Date: 2008/06/15(日) 14:15
No:776
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Title: 水子供養
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はじめまして。 私は訳あって後5日程で中絶手術をする事になっています。 産んであげられなかったせめてもの償いとして彼と一緒に水子供養に行こうと思っています。 水子供養はどこのお寺でもしていただけるのでしょうか? またエコー写真は必ずしも納めなくてはいけないのでしょうか?手元に残しておきたいのですが…
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Name: 天台沙門
Date: 2008/06/17(火) 18:39
No:800
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Title: Re:水子供養
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残念です。
身体的にも精神的にも負担のかかることですから、まずは事後の体調を充分にすることをお心がけください。ともあれ、パートナーとご一緒、というのは必要充分なことだと感じます。
さて。 1)「水子供養いたします」とアナウンスしている寺院 2)本尊さんが地蔵菩薩である寺院 3)ご自身またはパートナーさんのご両親の菩提寺 が、考えられます。しかし2)と3)の場合、「水子供養」という表現にアレルギーをもつ住職さんもいらっしゃいますので「お子さんのお弔い」としてお話しいただくのがよろしいかとおもいます。
エコー写真はお子さんのご遺影です。ご自身が手元に残したいものなのですから納める必要はありません。 わずかな時間であっても、母胎という限られた空間であったとしても、お子さんが生きていらしたという証です。大事にしてさしあげてください。
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Name: 尊明 [URL]
Date: 2008/06/18(水) 03:59
No:807
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Title: Re:水子供養
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ぶーさん。叱らせていただきます。 今、宿っているのは命です。お母さんと同じ命です。 まだ動いている命です。 今から供養の心配などしないで下さい。 最後の最後まで何とか産むことが出来ないか? 最後の最後までこの命を守ってやることは出来ないか? 彼や両親としっかりと話し合って下さい。 いっぱい話し合って下さい。精一杯命について考えて下さい。 供養のことなど今はどうでも良いんです。 今は、産む方法だけを考えましょう。
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Name: 勝運寺山主 [URL]
Date: 2008/06/20(金) 07:08
No:823
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Title: Re:水子供養
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ぷーさんへ
水子の供養を致します前にご理解いただきたい事柄がございます。 まずは「水子の側に立って、水子の気持ちを考えて下さい。 仏教の世界では、この世に生を受ける事は、仏様より娑婆の世界にて修行をしてきなさいと、仏様から遣わされるということです。 しかし、(産む、産まないの選択は親の勝手)とよくいいますが、実は水子の側からすると、自分が産まれることにより悲劇が生まれると感じた時には、母親に対して胎児は自分を早く仏の世界へ返す事を願うのです。 是により水子が生じてきます。 ほんの少しの間でも自分が母と思い、父と思った、縁者に不利益が起こりうるならば自分の命を代償に父母に幸せになってもらう為に生ずる現象、[生んであげられなかった]、と言う結果を水子と言います。 [生んであげられなかった]と言う『思い』は個々の我欲が強い為生ずるとも言われておりますが、それをもすべて理解し仏の世界へ帰って行った胎児の心を理解してください。 娑婆界に呼んでいただいた父母の恩に報いる為、父母に幸せが訪れるように願い仏の世界へと帰っていくのです。 どうか忘れないでください。 「あなたの幸せを願い仏の世界へ帰って行った子供がいた事を。手をあわせアリガトウと言ってあげてください」 勝運寺 住職 慈峯拝書
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Name: ヤナ
Date: 2008/06/19(木) 15:38
No:815
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Title: 祖母の13回忌
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お忙しいところ失礼致します。 父方の祖母の13回忌を迎えます。 そこで相談なのですが、遠方にお墓があり、事情でお墓参りがどうしてもできない場合は、どのようにしたらいいのでしょうか? 位牌はこちらにありますが、お墓はここ数年、お恥ずかしいことに お参りは出来ていません。というより、していません・・・。 家の事情を理由にお恥ずかしいお話ですが、どうしたら祖母が喜んでくれるでしょうか? お願いします。
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